ウズベキスタン共和国 サマルカンド 2002.09.08 - 09.11

シルクロード・青の都

サマルカンドは常にシルクロードの中心都市として栄えてきたが、興亡の歴史を繰り返してもいる。現在のサマルカンドの見所となっている建築物の多くは、約600年前にティムール帝国を築いたティムールの時代に建設された。

シルクロードはいつか旅をして見たいと思っていたが、シルクロードの中で一番魅力のある建築物があるのがサマルカンドかもしれない。地球の歩き方で見たサマルカンドのレギスタン広場の写真を見てから、絶対これを見るためにウズベキスタンへ行きたいと思ったのだった。サマルカンドを見る事が、もしかしたら今回の旅の最後のハイライトになったかもしれない。

旅人の話で自分の旅の終わりを想う

今年中に旅を終えようと決心してから2ヶ月程たった。最初に予定していた国の中で行っていない所がかなりあるが、旅行を続けてそれらの国を全て周ろうという欲求よりも、どこかに落ち着きたいという欲求の方が強くなったのだ。中国を出てキルギス共和国で旅をして、大好きな自然に触れ、すばらしい景色の中トレッキングをしたりして旅行に対する疲れはほとんど取れたという気がする。しかしどこかに落ち着きたいをいう気持ちは、二人とも消えてはいない。その事を再確認したのは、バイクで世界を周っている、文恵と憲治から旅行の話を聞いた時だった。

憲治は途中資金稼ぎの為に、数箇所で働いていたが、足かけ7年間バイクで世界を周っている。まずアメリカ大陸を走り、その後アフリカ大陸をくまなく周り、東ヨーロッパ・中東・中央アジアの後はこれから中国と南アジアを旅行する予定だ。文恵はアフリカで一年間合流し、その後日本で働いてお金を貯めた後、ドイツで憲治と再会しバイクを買ってヨーロッパ・アジア大陸の旅に二人で出た所である。壮大な二人の旅だが、その経験談もずば抜けて面白く、彼らの経験談と共に行った事がない国々を頭に思い描いたり、行った事がある国々では違った視点から見ることが出来たりして、聞いている方の私達も貴重な経験をさせてもらえた感じだった。久しぶりに聞き応えのある旅の話を聞いていて気が付いたのが、私の旅の経験談に対する反応の変化だった。以前は行った事のない場所の話を聞くと、そこへ出来るだけ早く行って見たいという欲求が浮かんだ。今は面白そうな所の話を聞いた時の反応は、完全に受身の状態で、いつか近い将来にその国へ自分が行くぞという姿勢がまったく消えているのだった。遠い将来には機会を設けて行ってみようとは思うものの、今すぐ行きたいとは思わなくなってしまったのだ。そしてウェスに後で聞いて見ると、ウェスも同じような反応をしていたようだ。どうやら二人の旅の終わりは、確実に近づいてきているようだ。


サマルカンドはウズベキスタンの一番の見所だが、レギスタン広場はサマルカンドのハイライトであろう。以下の写真はレギスタン広場の三つの建物(左からウルズベク・メドレセ、ティラカリ・メドレセ、シェルドン・メドレセ。三つとも神学校である。次の2枚はティラカリ・メドレセ内の礼拝場の内装と天井の様子である。

グリ・アミール廟にはティムールや彼の息子達のお墓がある。ティムールの墓には、「私の墓を開けた者は、私よりも残酷な敵に敗北することになる」と書かれている。ソ連の考古学者がティムールの墓を開けた翌日、ヒットラーが率いるドイツ軍がソ連を攻撃した。
シャーヒズィンダ廟群には、ティムールゆかりの人々の霊廟が一直線に立ち並んでいる。一番奥のドアがいつも開いているようで、隣にある霊園を通って行くとただで入れる。
ディルショダB&Bで食べた夕飯はウズベキスタンで食べた食事の中で一番おいしかった。ヒヴァから一緒に旅をしている智里とブハラの宿で会った文恵と憲治と一緒に珍しくさっぱりしたプロフと他の料理を楽しんだ。

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