イギリス | スコットランド | 2000.6.11 - 6.18 |
近所(隣国)づきあいは難しい スコットランドでのイングランドサッカーチームの人気 ある宿で出会ったイングランド人の青年二人組みは、毎晩近所のパブ(居酒屋)でビールを飲みながらサッカーの試合のテレビ中継を見ていた。 その日はイングランド対ポルトガルの試合があり、いつもより二人ははりきって出かけていった。みんながイングランドが勝つだろうと予想していた試合だが、結果的にはポルトガルが逆転して3−2で勝利した。 次の日その話を聞いて信じられない思いだったが、その二人にはイングランドが負けたことよりも、ショックな出来事があった。 パブ中のスコットランド人全員が、イングランドではなくポルトガルの応援をしていたのだ。ポルトガルが逆転勝利した時には、皆が拍手喝采。イングランド人のふたりによると、もしスコットランドが別の国と試合をしていたら、イングランドでは皆スコットランドの応援をするそうだ。しかし、スコットランドではイングランドが負けるのを楽しんでいるのを生まれて初めて知り、ダブルショックを受けて宿に帰ってきたのだった。 バードウォッチングを趣味とする気の優しい青年達がちょっと気の毒だった。 スコットランド紙幣 スコットランドのATM(現金引き落とし機)で、いつものように現金を引きおろしたら、なんだかおかしい。よく見ると、紙幣のデザインがいままで使っていたのと全然違う。 なぜか同じ国内なのに、イングランドやウェールズで使われているイングランド紙幣とまったくちがう紙幣がスコットランドでは使われている。一応イングランド紙幣はスコットランドでは受け入れてもらえるが、逆にスコットランド紙幣はイングランドやウェールズでは、受け入れてもらえないことがある。なんとややこしいことだ。 イングランド人農夫ロンの嘆き スコットランド・ダンスを教えたこともある、農夫のロンはとっても陽気なおじさんだ。息子達が農業を継いだので、半隠居生活を楽しんでいる。冗談を大声でいい、大声で笑って、時々奥さんにしかられる、にくめないタイプの人である。 イングランドの農業について、2・3質問したらとても熱心に教えてくれた。中でも印象に残ったのが、植付けする農作物の種類を変えたり、乳牛を新しく始めたりすると、軌道にのるまで、数年かかるので、政府の輸入政策の変更で利益がとれなくなった農作物を一度あきらめると、もう二度と同じものを作らなくなる可能性が高いということだ。政府の出方次第で、この美しいイングランドの田園風景の素となっている農場が少しづつ潰されていく可能性がある。 都会に住んでいると、安くておいしければどこの国から来ててもいいやと、つい思ってしまっていた私に少し考え直させられる材料となった。 スコットランドの日暮れ スコットランドの北部に来てから、日が暮れるのが極端に遅いことに気がついた。ウェールズでも随分日が長いと思ったが、スコットランドのハイランド地方では、10時過ぎにようやく夕焼けが見れる。 ある日いつ暗くなるのかが知りたくなり、暗くなるまで起きていようと思ったが、まだ明るい10時半に眠くて挫折する。 ある日(6月13日)にもう一度挑戦。11時15分頃、ようやく薄暗くなりはじめる。夜中12時、窓の外が随分暗くなったが、よく見てみると、北東の空がまだ明るい。諦めてまた寝たが、その日夜1時半に目がさめて、もう一度窓の外をみると、まだ北東の空が少し明るい。 近所のおばあさんによると、夏至の日あたりに朝方2時太陽が沈むのを見たが、20分後にはまた日が昇ってきたそうだ。一年中日の長さがほとんど変わらない、赤道下のシンガポールとは対照的な現象である。 ウェスの夢 ウェスは夜見た夢をよく覚えている。次の日の朝よく夢の話を聞かされる。 大学を卒業して東京で働いていた頃の夢はスキー場に行ったのに、何事かがありスキーが出来ないというもの。感心する程、いろいろなバリエーションがあった。さあ、スキーするぞーと荷解きすると、スキーブーツが入っていない、ブーツがスキーに入らない、リフトに乗ったらリフトが逆に動いていて山に登れない等々、きりがない。 スキーの夢を卒業すると、今度は大学の悪夢に変わった。その日は期末試験の日なのに、どのクラスを取っているのか思い出せないとうような内容のもの。 そしてその後は、カリフォルニアの勤務先の悪夢。まったく夢の中まで仕事しないでほしいと、よく思ったものである。 ウェスが会社を辞めてから約5週間後、旅行に出てから2週間後にまた仕事の夢をみた。ああまったくう、と思ったら次の日、 「昨日の夜、始めてスキー場に行ってスキーが出来たよ!23歳の頃みたいに、すっごくうまくスキー出来たし、いろいろな人とスキーして楽しかったなあ。」 という。ようやく心の中で何かがふっきれたのであろうか。 そして数日後、ウェスはまたスキーの夢を見る。今度はスキーの技術が上達していて、アクロバットスキーをやったそうである。 エディンバラで調子を壊す いままでの旅は、本当に全てがスムーズに楽しく運んでいた。小さい事でいやなこともあったが、まあ気にならない程度に収まっていた。 しかし、スコットランド第一の都市エディンバラに入った途端に、歯車が壊れたように全てが悪い方向に向かいだした。 まず出だしは、その日電話で予約しておいたユースホステルの場所が見つからない。ガイドブックの地図に書いてある場所にいってみると、車を夜泊めておいたら、絶対誰かが盗みに入るだろうと思われる、危ない地域だった。まだ日のあるうちから酔っ払いのおじさんが、お酒を片手にふらふら歩いていたり、変な風貌の若者が、怪しげなもの(もしかしたら麻薬?)を売り買いしている。 歩き回ってもユースホステルは見つからず、ちかくのパブから電話したら街のまったく違う地域に、ユースホステルがあるという。電話では複雑で説明できないといわれてしまい、途中街の詳細地図を買ってようやく辿り着く。 ユースホステルで割り当てられた男女別のドミトリー部屋に行くと、8人部屋で唯一残っているベッドは部屋のど真ん中の2段ベッドの上。今までで一番高い2段ベッドで、両側が空いているうえに、両脇にさくがない。ちょっと間違えたら硬い床にまっさかさまに落ちてしまう。私は子供の頃に、引越し直後に、押入れの上の段に寝て、夜中に押入れの隣りに寝ていたおじいちゃんの頭のすぐ上に落ちた経験があるのだ。その時は目もさめずに朝まで寝てしまっていたが、今回はそうもいかないだろう。 気を取り直して夕食を食べに行く。歩いていける距離にある食べ物屋は全てまずそうだ。一番まともそうなイタリアンレストランに入る。 期待していた食べ物だったが、出されたパンがカビ入りで、サンプルにテーブルに出ていた食べ物をちょっと台所に持って帰ったふりをして、すぐうちのテーブルに出してきた。カビ入りのパンを平気で出すような所なら、他に調理するものもどんなものを入れているかわからないと考えると一変に食欲をなくす。残りをキャンセルしてレストランを出る。 その日は車に残っていたクッキーと昼の残りのキャベツを生のままバリバリ食べる。 ユースホステルは予想通り、遅くに部屋に帰ってくる人と、早く部屋を出る人がいてほとんど寝れない。12年前はこういう生活を50日間してどうやって体がもっていたのだろうか。 次の日エディンバラ城に観光に行く。観光バスが10台くらい止まっていて、城のなかは大騒動だ。無料のオーディオ案内を借りるための列に並ぶ。すると大柄の男がさりげなく私の前に割り込もうとしている。そうはさせるかとわたしも負けずにがんばっていると、その男の足を踏んでしまう。「あっ、ごめんなさい。」と一応あやまると向こうがなんくせつけてくるので、私も相手をしてやる。 「そっちだって列に割り込もうとしているじゃない。」「いや、そんなことはない、俺の方が先に来てたんだ。」「何ばかなこと言ってるの。私の後に来たのちゃんと見てたんだから。」「だって、おまえが必要以上に列を長くしているからだ。それに俺は今日もう2回も列に並んだんだ。」「?」 トイレにいっていたウェスが帰ってきて「もうそろそろやめれば」という。確かにばかばかしいので、後は無視していると、その男はぶつぶついいながら私の後ろに並びなおした。 車が泊めてある所まで一駅しかないが、スコットランドの電車にどうしても乗りたくて電車で帰ることにする。駅をようやく見つけたが、切符売り場が見つからない。駅の案内所に行って切符は電車内で車掌さんから買うことと、目的の駅はどの電車に乗っても止まることを確認する。 しかし、電車に乗って車掌さんに目的地をつげると、この電車は逆方向だといわれる。30分に一本しかこない路線である。歩いて20分くらいの駐車場まで電車で2時間近くかかる。 つぎに、観光案内所で教えてもらった、ハーレーのお店を探しにいくと、そこはただの住宅街だった。 行こうと思っていた美術館や植物園に行く気力もうせる。車の中ではしゃべる気力もなく後ろの席で横になっていたが、街を出て10分もすると空気が変わったような気がしてとたんに元気になる。周りの景色もまたスコットランドの雄大な田園風景に変わっていた。 B&Bはやめられない イギリスに来た時は、物価も高いのでユースホステルとB&B両方を活用しようと計画していた(と記憶している。)しかし、B&Bが予想以上に面白く辞められなくなってしまった。 B&Bではその土地に長く住んでいる人々が経営している場合が多い。訪れる土地を心から愛する人と会話をするのはとても勉強になる。 ウェールズのB&Bでは、ウェールズの文化を大切に守っている家族と触れ合うことが出来た。スコットランド・ハイランドでは元シェフだったオーナーのすばらしい料理で私の誕生日を祝った。南スコットランドの農場のB&Bでは、家族と混じってサッカーの試合を見ながら、スコットランドの事情について話し合った。地元の人とその土地のことについて話し合うことができるのは、B&Bが一番かもしれない。 私たちの一番のお気に入りのB&Bは以下の通り。 Tel/Fax +44 1479 831370 (イギリス国内からは 01479 831370) オーナーのエリザベスは元シェフで、朝ご飯の選択はすばらしい。私たちのお気に入りは燻製のにしんとオートミールの衣つきのにしんのフライ。フルーツもバラエティーに富んでいて、毎朝お腹一杯になってしまい、自家製のパンとジャム類まで手が回らなかったのが残念だった。 早めにリクエストすれば、前菜・メイン・デザートの夕食のコースも準備してくれる(別料金:2000年6月時点でひとり14ポンド)。庭で栽培している、無農薬野菜のサラダや野菜たっぷりのメイン料理、ほっぺたがおちそうなデザートについつい食べ過ぎてしまった。 宿泊費は2000年6月時点でふたりで39ポンド。3部屋が2つのバスルームを共有する(浴槽・シャワーはひとつだけ)。部屋は質素な作りだが、観葉植物があちこちにあり、とてもくつろげる環境だ。 スコットランド・ハイランド イギリスで旅行を始めたとき、スコットランドに関する知識はほとんどなかった。ガイドブックを読んでもあまりぴんとこなくて、スコットランドではエディンバラにでもいけばいいかなあと漠然と考えていたが、ウェールズの宿で出会った女性から、スコットランドに行くなら絶対ハイランドに行ってみるといいよと薦められてやってきたのだ。 ハイランドはスコットランドの北部に位置し、美しい山と湖に恵まれた、雄大な地域である。イギリス全土を含めた中での一番標高の高い山ベン・ネビスも、ネッシーで有名なネス湖もここにある。スコッチ・ウイスキーの製造所やお城も数多くあり、見所は自然だけではない。 ロンドンから遠いし、スコットランドまではるばる行く価値あるかなあ、と迷っていた私達だったが、来てみて本当によかったと思う。 スコットランドは国なの? ウェスいわく、国際サッカー試合では、スコットランドはイングランドとは別のチームで参加しているという。そんなことから、もしかしたらスコットランドはイギリスとは別の国なのではないかと混乱した。 スコットランドの人に言わせると、スコットランドはUnited Kingdomの一部だが、イングランドとは別の国だと言う。そして皆が声をそろえて、「私たちはスコットランド人で、イギリス人ではない。」とも言う。イングランド人の人たちは、私たちは統一されているが、スコットランドは別格だとも言う。 国連にはGreat Britainとして代表されているが、国際試合には別々のチームを送っている。この辺の矛盾はどこから生まれたのだろうか。 考えてみると、両国の長い歴史から比べて、統一されていた期間のほうが、別々の国であった期間より随分短いのだ。この先何が起きてもおかしくないのかもしれない。 |
スコットランドのお城 |
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写真はCawdor城。スコットランドのお城の多くは、ウェールズのお城と違い、敵の侵入を防ぐ目的よりも、住みやすさ、または見た目を重視されている。 | |
同じくCawdor城の庭園の一部。
残念ながらお城の内装は、私たちの趣味にあまり合わなかったが、庭園はとてもすばらしい。城の敷地の外には、8キロに渡る自然探索路がある。 |
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Loch an Eilein 湖畔に浮かぶ城。この湖の周りのハイキングコースを歩いていたら、なぜかカリフォルニアの家の近くの湖にいると錯覚してしまい、時々自分達がどこにいるのか分からなくなってしまった。これもスコットランドの湖の神秘性のせいであろうか。 | |
モルトウィスキーの道 |
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Speyside Cooperage (スペイサイド樽製造所)の樽職人。樽職人はスコットランド人の平均給料の3倍の収入があるそうだ。古くから伝わる職人の技術は確実に若い世代に伝えられている。しかし、見るからに息切れのする、重労働だ。
日本語での説明もあり、どうやって樽が作られるのかとても勉強になった。 |
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The Glenfiddich
Distillery (スコッチウィスキーの蒸留酒製造所)
5世代に渡って同じ家族で経営されるこの蒸留所では、地域のきれいなお水のみを使いウィスキーを作っている。 ウィスキーを製造する工程の無料ツアーがある。最後にウィスキーの試飲もできる。 |
ネス湖の恐竜 | |
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まったく来る予定のなかったスコットランド・ハイランド地方に来たら、ネッシーで有名なネス湖が近くにあることに気が付いた。
ネッシーは夏期休暇で旅行中のようで会えなかったが、ネス湖の眺めはなかなかきれいだった。 |
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ネス湖の南端とカレドニアン水路の間をつなぐ閘門(Locks)、水路と湖の高度に差があるため、閘門をひとつづつ閉じ、水位をじょじょに上げて、隣りの閘門までの水位と同じになったら閘門を開けて、ボードが行き来できるようにしている。水位が上がるのを待つボートと一羽の白鳥。この白鳥もボートと一緒に順番を待って、6つの閘門を渡って行った。 |
ベン・ネビス山登頂 (1343メートル) | |
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スコットランドでの最高峰(イギリス全土での最高峰でもある)ベン・ネビス山は標高は低いが、緯度が高いので真夏でも頂上は雪に覆われている。
天候も変わりやすく、霧が濃いと道を失う可能性も高いそうだ(特に道が雪で隠れる頂上近く。)天気が良ければ、頂上までの道は見つけやすく、比較的簡単に登ることができる。 一番近い街はフォート・ウィリアム(Fort William)で登山口は、ベン・ネビス・ロードのユースホステルの向かいか、ビジターセンターの所から始まる。ユースホステルからの方が頂上に近い。 私たちが登った日は、運良く天候には恵まれた。頂上近くで雲ゆきがあやしくなり、一瞬引き返さなくては行かないかと思ったが、頂上について10分位経つと、嘘のように雲がきれいになくなり、周りの山々が現れた。
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