トルコ ベルガマ・エフェス・セルチュク 2001.03.23 - 2001.03.31

古代ローマ遺跡

トルコではいたるところで古代遺跡が目に入る。中でも有名な遺跡があるのがトルコ西部のエーゲ海近くのエフェスである。私達はイスタンブールから時計と逆周りにトルコを一周してシリアに抜ける予定なので、エフェスはイスタンブールの次の目的地であった。しかしイスタンブールからエフェスまではかなりの距離があり一日で行くには遠すぎるので、途中温泉のあるテルマルと雄大な円形劇場のあるベルガマに寄ることにした。

ベルガマまでの長い道のり

イスタンブールから温泉の町テルマルまでは、フェリーとドルムシュ(乗合の小型バス)を乗り継いで簡単にたどり着くことが出来た。温泉つきの宿に一泊して次の日のお昼頃、ドルムシュでヤロバまで出てそこから大型バスに1時間位乗り、次の大きな町ブルサまでたどり着いた。朝食に何か悪い物を食べたのか、二人ともバスで多少気持ちが悪くなってしまった。ブルサの長距離バスターミナルでベルガマまでのバスを探してみると、直接行くバスはなくベルガマの南にあるイズミールまで行ってからそこで別のバスに乗り換えることになった。

ブルサからイズミールまでは約5時間かかる。この日利用したパムッカレ社のバスは信じられない位乗り心地の良いバスであった。ベンツの大型バスの座席はゆったりとしていて、サービス係の若い男の子が発車直後にシトラス系の匂いの良いコロンを配り、その後は水、ジュース、コーヒー、紅茶のサービスが続々と続いた。2時間後にレストランで休憩をした後、トルコ語に吹き返されたアメリカ映画がビデオで上映され、この映画が終わる頃にはイズミールの町に入っていた。

イズミールの長距離バスターミナルに着いたのは夜の9時頃。ベルガマへ行く最終バスは8時半に出てしまったので、イズミールの町で一泊することになった。パムッカレ社ではイズミールの町までの無料ミニバスサービスがあったが、私たちがベルガマのバススケジュールを確認しに行った頃には、もうミニバスが出発してしまった後だった。とりあえず市内バス用のバス停へ行き、周りの人にガイドブックの地図を見せて安宿がたくさんある地域の地名を指して、どのバスに乗ればよいか聞いてみた。数人の人があのバスに乗ればよいと指をさしたバスに乗り込み、6キロ離れた町の中心まで向かった。

しかし待てど暮らせど安宿のたくさんある町の中心にはたどり着かなかった。最初はきっと遠回りをしているのだろうと思っていたが、さすがに30分以上たつと心配になりガイドブックを持って運転手さんに確認にいった。大丈夫その場所はまだ先だとジェスチャーで言われて安心して席に戻った。バスの乗客は次々と降りてゆき、バスはますます人気のない所へ進んでいった。そしてバスに乗ってから1時間位たってとうとうバスの中に私達しかいなくなった頃、運転手さんが「ここだよ」と降ろしてくれた所はどう考えても私たちが目指す町の中心地ではなかった。大きな交差点ではあるが周りには食堂が一軒あるだけで他のお店や人家もひとつも見当たらないのだ。しかたなく食堂のおじさんに助けをもとめた。持っていたトルコ語の会話集だけが頼りの綱なのに、肝心の「ここはどこですか」とか「迷子になりました」という言葉が載っていないのだ。後から分かった事だが、私達が降ろされた所には私達が行きたかった町の中心と同じ名前の大学があったのだ。私たちの片言のトルコ語とおじさんの片言の英語でなんとか私達が今夜の宿を探している事を伝えると、おじさんは知っている安い宿に電話を入れてくれて、息子に宿まで行くドルムシュ(乗合のミニバス)乗り場へ案内させてくれたのだった。目当てのドルムシュが来るまでに一緒に待っていた若者たちに今どの辺にいるのか聞いてみると、どうやらイズミールの町から随分南に来てしまったようだった。しばらくしてようやく宿まで行くドルムシュがやって来て、食堂の息子は運転手に私たちを宿の前で降ろすように頼んでくれた。ドルムシュに乗ってまたさらにイズミールのバスターミナルとは逆方向に延々と30分位乗った頃、ようやくお目当てのホテルにたどり着いた。チェックインをして時計をみるともう11時半過ぎ、考えてみると昼食(気持ち悪くて)も夕飯(時間がなくて)も食べていないのだった。運良く隣りのレストランが開いていて、真夜中近くに遅い昼食兼夜食にありつくことが出来た。

次の日の朝、宿の近くのバス停から市内バスを乗り継いで、2時間位かけてイズミールの長距離バスターミナルへたどり着いた後は(この日もバスターミナルに来るまでにいろいろな人の親切を受けた。くわしくはイスタンブールページのバスで知ったトルコ人の優しさを参照)、大型バスで約1時間でベルガマの町にようやく到着した。

ベルガマの町はこじんまりとした落ち着ける町で、宿泊したアテナ・ペンションのオーナーも気さくで愉快な人で、台所も自由に使わせてくれた。また、このペンションで出会ったオーストラリア人カップル、ローズとピーターとニュージーランド人女性アンとは意気投合して、しばらく一緒に旅行することになった。このアンとは後日別々に旅行を始めた後でびっくりする形で再会をすることになるのだった。料理が出来るのはモロッコのメルズーガを出て以来2ヶ月ぶりだ。モロッコで仕入れたスパイスを使って、ある晩モロッコ料理を作り皆と一緒に夕飯を食べた。

エフェス

ベルガマのペンションで出会ったローズ・ピーター・アンと一緒にベルガマの町から遺跡のあるエフェス近くのセルチュクまで一緒にバスで向かった。彼らが旅行中に勧められたペンションへまず行って見ると、ここもベルガマのアテナ・ペンションとはまた一味違った魅力のある落ち着ける宿だった。この宿オーストラリアン・ニュージランド・ペンション(通称ANZペンション)のオーナー一家は、オーストラリアへ移民したが故郷トルコが懐かしくなりトルコに戻って家族でペンションを始めたのだった。朝食と夕飯付なので夜は他の宿泊客と一緒にわいわいとご飯を食べるのも楽しい。

安宿のたくさんあるセルチュクの町からエフェスの遺跡までは3キロの距離で歩いても30分から45分で行けるが、ANZペンションからは無料で送迎をしてくれる。私達5人は行きだけ乗せてもらい帰りは近くのおいしいトルコ風パンケーキの店と洞窟経由で歩いて帰った。また別の日にはエフェスの遺跡を見下ろすことが出来る近くの山を宿で教えてもらい、登山路が始まる所まで車で連れて行ってもらった。

セルチュクの後はパムッカレへ向かう私達と、ボードルムへ向かうピーターとローズ、そしてマルマリス経由でギリシャ領のロードス島へ向かうアンとはとうとうお別れの時が来た。ピーターとローズとは多分1週間後位にカッパドキアで再会できるだろうと言い合って私たちはセルチュクを後にした。


ベルガマのアクロポリス

古代の体育館後。原型はほとんど留めていないが、わずかに残された円柱等からでも昔の面影をしのぶ事が出来る。

急な斜面を利用して作られた円形劇場はスケールの大きさに圧倒される。座席数は1万人だが、それより大きく見えるのは高度差を利用して、横に丸く作るのではなく高く作られたためかも。

Trajan 寺院の白い石は、背景の山の緑と青い空に映える。
エフェス・セルチュク

セルチュクの町にあるお城は何故か観光客は入れない。アンとウェスと私はフェンスの穴を見つけて入ったらガードマンに見つかって追い出されてしまった。

エフェスの遺跡の中でもハイライトであるCelsus図書館は、中央の円柱や柱頭を端のよりも大きくしたり、正面の台の中心を少し高くすることで、実際よりも大きく見えるように作られている。

古代の公衆トイレに腰掛けるアン、ウェス、ピーターとローズ。ピーターは本も読んで本格的なポーズをとっている。

エフェスの遺跡を見下ろす小高い丘から見た円形劇場。近くで見るとそんなに大きく見えなかった劇場だが、遠くの丘から見下ろすと25000人収容できるというその大きさが実感できる。

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