タンザニア キリマンジャロ国立公園 2001.02.23 - 2001.02.27

キリマンジャロの朝日
(5,895メートル・19,340フィート)

マイケル・クライトンが書いたノンフィクション「TRAVEL」という本でキリマンジャロ登山のことが出てくる。7年位前にこの本を読んで以来、ずっと登ってみたいと思っていたキリマンジャロ登山は、今回の世界旅行の旅を計画した時に一番過酷な目標としてまっさきにリストアップしたのだった。

3000メートル以上の山に登る時は、多かれ少なかれ高度に影響されてきた私だが、何故かこの山はどうしても登りたかった。赤道近くに位置するため、雪は5600メートル以上までしか積もっておらず、山の斜面はゆるやかで登山道はきれいに整備されている。ポーターを雇えば日帰り登山程度の荷物を持つだけで5日間の登山が出来るので、高度にさえ影響されなければ、比較的楽に登れる山として結構気軽に登ってくる登山客も多い。しかし高度に影響されない人はほとんどいないと思われる。ひどい高山病にかかり歩くことも出来なくなったことのある私は、頭のすみではもしかしたら頂上にはたどり着けないかもしれないという考えがこびりついていた。

しかし、私はこれがキリマンジャロに登る最初で最後のチャンスのような気がして、万全を尽くして準備をした。メル山に準備登山をしたのも、信頼できる登山会社を探したのもアフリカ最高峰へたどり着く可能性を少しでも大きくする為だった。

キリマンジャロ登山の会社調査と登山費用

キリマンジャロに登る前にまず登山ルートを決めなくてはいけない。全部で8つのルートがあるが、山小屋が完備されているのはマラング・ルートのみである。マラング・ルートは通常5日間、他のルートは最低6日間かかる。山小屋のないマラング・ルート以外を登る場合は、ポーターが食料の他にテント・テーブル・椅子等を運ばなくてはいけないので当然値段もかかり、またサポートチームの人数が多くなるので、登山後に渡すチップのお金もかかることになる。私たちは、5,895メートルにたどり着くことだけでもう大変なことなので、一番簡単で一番費用のかからないマラング・ルートを5日間で登ることに決めた。

モシに着いてから、メル山登山中に大変評判の良かった Zara Tanzania Adventure の経営者である Zainab に会って話してみると、この人の会社なら信用できると改めて確信出来た。6000メートル近くの山では何が起こってもおかしくない。信頼できるガイドとサポートチームが不可欠である。ガイドブックやインターネットによると、残念ながら信頼できないガイドにあたり大変な目に会ったり、またお金をだましとられたりするケースが後を絶たないようである。またキリマンジャロを登山中に自分達のガイドと意思疎通が出来ずに不安がっている人や、サポートチームのサービスの悪さに不満が溜まっている人々にも実際に会った。一番ひどかったのは、私たちが下山した後にゲートで出会った女性二人組みが契約したKilimanjaro Tours and Trails という会社だ。その女性達は6日間のお金を払ったのに、第一日目は山小屋が一杯で登れないから5日間で登らなくてはいけないと言われたのだ。しかし山小屋がいっぱいのはずの前日は、私たちがその山小屋に実際に泊まってまだ空きがたくさんあったのを目撃しているのだ。その会社によると山小屋がいっぱいなのは国立公園の責任なので一泊分のお金の払い戻しは出来ないと言い張っていた。

Zara Tanzania Adventure には、海外から直接ホームページ等を通して申し込むことも出来る。キリマンジャロ空港までの送迎と、Zara が経営する4つ星ホテルにて登山前後の2泊を含めた、マラング・ルート5日間の値段はUS$600である。同じパッケージをモシ市内で申し込むと(キリマンジャロ空港までの送迎なし)US$575、登山前後の2泊を付かないとUS$530となる。私たちはホテルなしのパッケージで登山装備のレンタルも値段に含めてもらい、モシ市内の一泊10ドルの宿に泊まりお金を浮かすことにした。ちなみにこのバッファローホテルはZaraの実質上のベースとなる経営者Zainabの自宅から歩いて数分の距離にあり、一泊10ドルとは思えないきれいなバス・トイレ付の部屋の上に、フルーツ・トースト・紅茶かコーヒーの朝食も付いている。ベッドには蚊帳が付き、まどには網戸があるので蚊に悩まされることもない。

Zara Tanzania Adventures
Director/Owner = Zainab Ansell
zara@form-net.com
http://www.kilimanjaro.co.tz
Tel/Fax: +255-27-2750011
Mobile: +255-0812-451000

一人US$530と聞くと随分高いと感じるが、このうちほとんどが国立公園費だ。入園費:一人一日US$25、山小屋利用料:一人一泊US$50、レスキュー費:US$20、ガイド・ポーター等の公園入場料(人数にかかわらず)一日US$1なので、私たちの場合は二人でUS$695が国立公園の収入となる。残りのお金で、モシからキリマンジャロまでの交通費(車で約1時間)、ガイド一人、アシスタントガイド一人、コック一人、ポーター3人、毎日のお弁当(4日目は小屋でできたてのお昼)、食べきれない程の分量の朝食と夕食、午後のお茶とお菓子がまかなわれる。山小屋で専属コックが作るごはんはレストラン並みのレベルの高さで、毎食違うものが出てくる。夕食の例は、スープとパンケーキで始まり、メインはカレーとごはんと数種類の野菜料理、デザートは新鮮なフルーツといった具合だ。昼ご飯には、フライドチキン・カリカリのフライドポテトと揚げ人参、またまた新鮮なフルーツが出た。山でのこんな贅沢は信じられない。2日目からは小屋に着くと暖かいお湯を洗面器一杯に出してくれた。バンダナを使って暖かいお湯で全身を拭くと、シャワーを浴びなくても充分すっきりとした。

会社に払うお金の他に、ガイドやポーターにあげるチップの分の現金を用意しておくのも必要だ。チップ分はタンザニアのお金が一番だが、アメリカドルでもかまわないようだ。会社に払うお金はアメリカドル払いなので、充分なアメリカドルを現金か旅行小切手で持ってくる必要がある。クレジットカードを使うとツアー会社は7〜10%の手数料を取る。モシにはキャッシュマシーンがなく、また町の両替商はアメリカドル・イギリスポンド・スイスフランしか受け付けない。銀行では日本円等の他の通貨も両替してくれるがレートが悪くまた営業時間が限られている。他の旅行者に聞いたり、ガイドブックで仕入れた登山客が二人のグループで5日間の通常ルートの場合のチップのガイドラインは以下の通り。(しかしチップはあくまでも受けたサービスが満足なレベルだったことを仮定しての値段なので、あまりにもサービスがひどければここまであげなくても良いのでは。)

ガイド US$50 - US$70
アシスタント・ガイド US$30 - US$40
コック(ポーターより大目に払う) US$15 - US$20
ポーター US$15 - US$20

このチップはグループで頭割りにして払う。マラング・ルート以外はテント・テーブル・椅子をポーターが運ばなくてはいけないので、あげる人数が増える。また通常6日間以上かかるので、公園入場料等も余分にかかり、チップの金額も上がる。

また、多くの旅行者は高度に慣れるために一日余分に山で過ごす。この一日の値段は登るルートにより変わるが、だいたい一人一日US$100からUS$150位余分にかかる。しかし、この高度に慣れるため3800メートル辺りで過ごす余分な一日は、私たちのガイドによると「6000メートルの山に登るのには役に立たない。お金を余分に使うだけ」だそうだ。マラング・ルートの場合5日かけて登っても、6日かけて登っても、頂上までたどり着く人の割合は変わらないようなので、ガイドの言っていることは当たっているかもしれない。高度になれるためには時間をかけてメル山に登るのが一番かもしれない。

残念ながらモシやアリューシャには(多分ナイロビ等にも)、きちんとした会社と見せかけて旅行者からお金をだまし取る人々がいる。またフリーランスのガイドを雇ったら、国立公園の門についたとたんにガイドが消え去ったというようなケースも後を絶たないようだ。国立公園にかかる費用を頭にいれておき、あまりにも安い値段を提示されたらちょっと疑ってかかる必要がある。一番安心な方法は、実際に地元の会社を使ってキリマンジャロに登った人々から話を聞くのが一番だろう。

また逆に他より高い値段を提示して、うちはガイド達に他より高い給料を払っているからスタッフの質が高いのだと説明する所も信用できない場合がある。同じ日に登ったイギリス人カップルはモシのShah Toursでそう言われたが実際に山に登ってみると、ガイドはほとんど英語を話せず、スタッフが他の会社より多い給料をもらっているというのは嘘だった。またアリューシャのShidolyaという会社を使って登ったカナダ人カップルは、第一日目はすばらしいサービスだったのに毎日質が落ちていき、最終日にはもう何が起こっても不思議ではないというレベルにまでなってしまっていた。最後のチップでも少々問題が起きたそうだ。Zaraを利用したグループには、メル山で3組とキリマンジャロで3組出会ったが、不思議と全グループが満足していた。正直言って、私たちがキリマンジャロにいた間、私達のサポートチームが一番良いと思えるほど満足出来たのは、ガイドのウィルソンのおかげといえる。

5000メートル以上の山を登るには、心から信頼できるガイドが重要となる。もしかしたら命に関わる問題に発展するかもしれないのだ。私達のガイドは「この人なら何が合っても命を助けてくれる」とまで信用できたのは本当に幸いだった。Zaraを利用する場合ガイドの指名も可能だ。Wilson Olotuをガイドに指名することをお勧めする。彼が選ぶサポートチームは天下一品だ。ウィルソンが必ず使うアシスタント・ガイドのデービッドは頂上へ登る時にグループの後ろに付き、万事何もないことを始終気を使っていた。コックのサイモンは毎食時間どうりに熱々のおいしい料理を出してくれたし、ウェイター役のジャスティンはいつも予定時間より前に食卓の準備を完了してすばらしいサービスをしてくれた。ポーターは全員私たちより後に出発しても私達を風のように追い越し、山小屋に着いたときには熱い紅茶とお菓子が食べられるように準備されていた。彼らのプロ意識には頭が下がる。デービッドとジャスティンは将来ウィルソンのようなすばらしいガイドに成長してくれることだろう。

最後に、チップ以外にもいくらか余分にタンザニア・シリングを持参する必要がある。ギルマンズ・ポイントに登ると緑色の登山証明書が、ウフルピークに登頂すると金色の登頂証明書がもらえる。ゲートではこれらの証明書を3000シリングでラミネート加工してくれる。ガイドにビールをご馳走するなら、一本1000シリングかかる。またキリマンジャロの絵葉書、Tシャツ、帽子等のお土産物をゲートで販売している。アメリカドル支払いも可能だが、ここのレートはかなり悪い。

キリマンジャロ登頂(マラング・ルート)

第1日目:マラング・ゲート(1980メートル)からマンダラ小屋(2700メートル)までの7キロは熱帯雨林を通るなだらかな道だ。約3時間で到着する。6日前にナイロビからのシャトルバスで出会った人達が下山する所に次々と出会った。途中お弁当を食べて午後3時にマンダラ小屋に到着した。紅茶とお菓子で休憩した後、近くのマウンディ・クレーターまで体慣らしのために登った。

第2日目:ホロンボ小屋(3780メートル)までの11キロもまたなだらかな道である。この日に高山病の症状が出始めるケースが多いので、あくまでもゆっくりと登ることが重要だ。この日はゆっくりのペースで6時間位かかる。周りの景色は熱帯雨林から背の低いかん木に変化する。急激に高度を上げない為にも、なるべく朝早く出発して、ゆっくりと登った。小屋についてからお昼を食べ、2時間程休憩したあと高度に体を慣らす為に、ゼブラ岩までゆっくりと登り、20分程のんびりとした。これで小屋まで降りた時には、すこし体が酸素を余分に作ろうとがんばってくれるはずだ。

第3日目:またこの日もキボ小屋(4750メートル)までの10キロの長くてなだらかな道を登る。景色はかん木から砂漠状態に変化する。キボ小屋の標高では登山客の約半分がなにかしらの高山病の症状が出ていたようだ。キボ小屋まで登る途中で、ひどい高山病の症状の人々がガイドに体を支えられながら下山する所にすれ違った。前日は8人登った中で、ウフルピークまで到着したのは一人のみだったようだ。私たちは小屋に着いた時に軽い頭痛があったが、紅茶とお菓子を食べたら消えてしまった。この日も高度に慣らす為30分ほど亀のペースで登った。帰ってすぐに早めの夕飯が出て、すぐに仮眠の態勢に入った。ガイドでさえこの高度では1時間寝れるか寝れないかと言っていたので、寝れなくて当たり前と思ったら不思議と寝れなくても焦る気持ちがなく、横になりながら不思議な位落ち着いた気持ちだった。この小屋に登った時点で今までの最高記録を更新したことになる。いままで登った事のない標高で夜を過ごすことの無謀さに飽きれると共に、ここにたどり着くことを可能としてくれた私達のサポートチームの皆に対する感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。そんな幸せ一杯の中でいつの間にか眠りに落ちていった。

第4日目:この日は実際には3日目の夜11時に始まる。真夜中少し前に出発するため、夜11時に起こされて紅茶とクッキーを出される。満天の星の下を、ガイドのウィルソンを先頭に、私とウェスが続き、アシスタント・ガイドのデービッドが後を守る。二人の観光客に付き二人のガイドが付くのは、一人が途中で引き返さなくてはいけない場合、アシスタントガイドが付いて降り、もうひとりはガイドと共に頂上を目指せるというシステムになっているからだ。キボ小屋からウフル・ピークまでは4キロしかないが、高度は1200メートル登ることになる。ガイドのウィルソンはまずギルマンズ・ポイント(5681メートル)を目指すことを目標とさせた。ギルマンズ・ポイントまでは約5時間かかるはずだ。予想を上回る寒さと暗闇の中、足場の悪い火山灰の中を歩くのは集中力と忍耐力が必要だ。途中もうだめだと思いそうになるが、その度にウィルソンの的確なアドバイスのおかげで前に進みつづけることが出来た。「私のすぐ後ろにぴったりとくっついて登りなさい。それが一番楽だから。」「今ここで止ったら寒くて体が冷えすぎる。あと数分がまんしなさい。」「時間は気にしない。時計も見ないように。まず一歩一歩進むことが大切。」

私の懐中電灯は電池が凍ってしまい途中で使い物にならなくなった。ウィルソンとデービッドが交代で私の足元を彼らの懐中電灯で照らしてくれた。こんなに辛くて長い5時間は今までにあっただろうか。歩けば歩くほど空気はますます薄くなり、一歩一歩がますます辛くなる。一度座ってしまったらそのまま疲労のため動けなくなり、寒さの中で凍え死んでしまうかもしれないとウェスは何度も思ったそうである。長くてきつい登りをどれほど続けた頃だろうか、どうやらギルマンズ・ポイントらしい所が暗闇の中にうっすらと見えるようになってきた。いったいそこまでどれだけの時間がかかるのか分からない。しかしこのまま足さえ動かしつづければきっとたどり着けると思えるようになった。そしてギルマンズ・ポイントまでたどり着ければ絶対ウフル・ピークまで行けるという確信があった。これまで7年間も思いつづけてきた夢が達成できるかもしれないと思うとなぜか自然と涙が溢れてきた。涙をこらえながら登り続けると、ようやくギルマンズ・ポイントへたどり着いた。もう我慢が出来ずに泣き出してしまった。ウィルソンとデービッドにお礼を言いつづけて感謝の気持ちで抱きしめた。ウェスもつられて泣き出してしまった。しかし、ここで終わったわけではない。ここから大分なだらかになるとはいえ、まだ2時間程登らなくてはいけないのだ。

ギルマンズ・ポイントからは雪に覆われた登山道を滑らないように気を付けながら歩かなくてはいけない。ウフルピークまでは高度では214メートルしかないが、約2キロの道のりは雪・氷・岩に覆われている。私達は約5分歩いた所でもうすでに戻ろうと思ってしまった。登山道は滑りやすい雪で覆われていて、雪の斜面は急でいったん滑るとどこまで落ちていくのかも分からないほど斜面は延々と下に続いていた。極度の疲労で足元がおぼつかない上に、いったん滑り出したらもう命がないことは確実と気が付いた時に私たちの自信はたちまち消え去ろうとしていた。そしてほんの1週間前にキリマンジャロで2人の登山客が滑って死んだ事がいやでも思い出される。そんな時アシスタントガイドのデービッドが滑りやすい雪を迂回して、柔らかい雪を探し新しい道を作ってくれた。そして私達は先に進むことが出来た。身の危険を感じる場所はほんの短い間だが、その後も私達の苦労は続いた。疲れと寒さで体のあちこちが痛む。寒さは一層厳しくなり、手や足先が凍えてきた。しかし、温まる為に先を急ぐと高山病の影響が恐ろしい。ウィルソンにほらこういう風に手と足を動かしながらと即されて私たちも真似しながら登った。まるでダンスをしているようなステップを踏み、手をばたばたと動かして体が冷え切らないように4人で登っている姿は今から想像すると可笑しいが、その時は真剣だ。私は高度の影響でしゃべり方がおかしくなってきた。ウェスは足を一歩づつ前に動かすことしか考えられなかった。途中私は頭がふらつき石につまずいてしまった。そんな時ウィルソンが励ましの一言をかける。「今は一番つらい時だ。自分の最善をつくしてみて。」どうやって前に進み続けることが出来たのか分からないが、気が付くとウフルピークに近づいてきた。これなら行けると気が付いた時、私は一歩一歩が力強く踏み出せるようになった。ウェスは喜びのあまり涙が流れてしかたなかった。ウフル・ピークに到着する直前に日が出た。周りの氷河が朝日の色に輝き出した。そしてウフル・ピークに到着!7年間の夢がかなった瞬間は二人とも感慨無量だった。しかしあまりの寒さに長居することが出来ない。さっさと写真を撮り、さっさと降り出さなくてはいけない。朝日を眺めながら降り出すと、周りの氷河や雪の造形が不思議な色に輝いていて、まるでこの世の景色とは信じられない美しさだ。この景色のすばらしさに感動してまた涙が溢れ出してきた。もう2度とは来れないだろうこの景色を自分の心にしっかりと焼き付けながら先を急いだ。

ギルマンズ・ポイントまでは滑りやすい場所さえ気をつければほとんど小走りに降りられる。ギルマンズ・ポイントからキボ小屋までは火山灰を駆け下りてあっという間に下山できる。途中石の多い所はウィルソンやデービッドが注意してくれた。ウィルソンとウェスは休む間もなく駆け下りていったが、私は途中で何度か息をしないと歩きつづけることが出来なかった。そんな時は必ずデービッドが心配そうにすぐ後ろに待機していてくれた。キボ小屋で朝食を食べ、荷造りをして朝の9時過ぎにはホロンボ小屋に向けて出発した。お昼頃にホロンボ小屋に付き暖かい昼ご飯を食べながら、その日マンダラ小屋まで一気に降りてしまうことを決めた。午後3時半位にマンダラ小屋まで降りるとようやく体に充分に酸素が行き渡っている感覚になった。急激に増えた酸素のせいか想像していたよりも随分元気になってしまった。その日の夜は珍しく一度も目が覚めることがなく熟睡した。

第5日目:最終日はマラング・ゲートまでの2時間をすがすがしい気持ちで歩き、はればれしく5日間の登山を終えた。

体の仕返しが来るのがその次の日だった。朝からほとんど何をする気も起こらず、一日中植物人間のような状態で過ごした。その後普通の状態に戻るまで何日かかったのか良く分からないが、3・4日は体のどこかが疲れていたと思う。

キリマンジャロのいろいろな人の感想

私たちにとっては忘れられない感動的な経験となったキリマンジャロ登頂だが、全ての人がそのような思いでキリマンジャロを去るわけではない。残念ながら多くの人が、なぜこの山に登ったのだろうと疑問に思ったり、もう二度とどの山にも登らないと宣言していた。標高3700メートルあたりで頭痛やはきけを伴う高山病の症状が始まる人が出始め、標高4750メートルのキボ小屋では半数くらいがなんらかの高山病の諸症状に悩まされていた。キリマンジャロが最初の山という人はほとんど全員がもう二度と山には登らないという感想だった。もう少し高度の低い山ならこんなに辛い思いをすることがなく、すばらしい達成感を味合うことも出来る上に、景色を楽しむ余裕もあるのだ。

一緒に登った観光客の一人で高山病の中でも命に関わる症状の一つであるpulmonary edemaになった人がいた。彼は6日間かけてマラング・ルートを登ったが、5000メートルちょっとで辛くなり下山することにした。キボ小屋までは楽に降り、小休止した後ホロンボ小屋(3780メートル)まで同じ日に問題なく下った。しかしその日の朝方4時頃、肺に水が溜まり息が出来ない状態で目が覚めた。ポーター達が慌てて彼を担架に乗せて山を駆け下りた。マンダラ小屋(2700メートル)まで降りると彼は随分症状が良くなり、そこからは自分の足で下山することが出来た。肺に液体が溜まり息が出来なくなるpulmonary edemaと、脳に液体が溜まるcerebral edemaは、かかるとすぐに下山しないと命に関わる深刻な高山病の症状だ。しかし普通これらの症状は登山時に、体が高度に慣れるより早く登ってしまった場合に出ると聞いている。下山時にこの病にかかるというのは医者でも説明が出来ないほどまれな状況とのことだ。

キリマンジャロ山登頂:ビジターの為の情報

キリマンジャロ山を登る為には、国立公園入場料を払い、ライセンスを持ったガイドと共に登らなくてはいけない。ほとんどの人がきちんとした会社を通してフルパッケージのツアーに参加する。

  • 2001年2月時点でのキリマンジャロ国立公園の費用は、入園費:一人一日US$25、山小屋利用料:一人一泊US$50、レスキュー費:US$20、ガイド・ポーター等の公園入場料(人数にかかわらず)一日US$1である。また登山終了時、ガイド・コック・ポーター全員にチップをあげるのが慣例である。
  • キリマンジャロ登山へ持っていた荷物リストはここをクリック

登山時に特に注意しなくてはいけない事は、寒さから身を守ること、過度の紫外線から皮膚を守ること(300メートル高度が上がると紫外線の量が30%増えるといわれる)、充分な飲み水を確保することだ。また、高山病の恐れもある。綿製品を身につけないことも大切である。汗を吸い取った綿は、気温が下がった時に、体の温度を急激に下げてしまう恐れがある。

キリマンジャロ山マラング・ルートの下の方の山小屋2つ(マンダラ小屋:2700メートルとホロンボ小屋:3780メートル)は、バンガロー形式でマットレス付のベットが4つ各バンガローにある。水洗(!)トイレ・水道があり、共同の大きな食堂でみんながご飯を食べる。ほとんど全員がフルパッケージツアーで行くので、専用のコックが料理する食べきれない程の分量の豪華な料理をポーターの一人がウェウターとして給仕してくれる。なんという贅沢。マンダラ小屋には冷たいシャワーがあるが、ウェスくらいしか使ってななかった。本当に水は冷たい。マラング・ルートの一番高度の高いキボ小屋(4750メートル)では、石造りの小屋に12人部屋がいくつかある。それぞれの部屋に小さなテーブルがありそこで交代で食事をするが、この高度ではほとんど食べれない人が多い。水はまったくなく、料理用等の水はポーターがホロンボ小屋から持って登る。この高度では寝ることはほとんど不可能で仮眠をとる感じだ。小屋内はとても寒く、頂上に登り始める真夜中にはカメラや懐中電灯の電池が凍っているおそれがあるので寝る前に寝袋に入れておくと良い。

ポーターに荷物を運んでもらう場合、自分用の小さ目のバックパックとポーター用の大き目のバックパックを用意する必要がある。自分用のバックパックには、雨具・お弁当・カメラ等を入れる。ポーター用のバックパックには寝袋や頂上に登る日用の防寒具等を入れる。5000メートルを越えると寒さは想像以上の厳しさだ。懐中電灯やカメラの電池や水は凍ってしまう。余分な電池をジャケット内に持っていくと便利だ。


キリマンジャロ

マラングルート、マンダラ小屋とホロンボ小屋の間。後ろに見えるのは、ハンス・マイヤー・ピーク(右:5149メートル)、ウフル・ピーク(左:5895メートル)。雪のかぶるウフル・ピークがアフリカの最高峰である。

ホロンボ小屋を上から見た所。天気が良ければ、はるか下界が見渡せる。

4400メートルにくると完全に砂漠の環境だ。後ろに見えるのはキボ火山。

4750メートルに建つキボ小屋と隣りにはられたテントの数々。テントに泊まるのは小屋がない別ルートを登ってきた登山客達。

多くの登山客はギルマンズ・ポイントで引き返す。ここまでは来るのには暗闇の中少なくとも5時間はかかる。ウフル・ピークは標識の上遥か先に見える。ここから高度は200メートル上だが、薄い空気の中を2時間位かけていかなくてはいけない。

ウフルピークの近くでは信じられない位大きな氷河が朝日に輝く。脳に充分な空気が行き渡ってないせいか、この辺りの景色はこの世のものではないような気配をだたよわせていた記憶がある。あまりの荘厳さに言葉を失ってしまった。

ついにたどり着いた!標識の前で記念撮影。左からアシスタント・ガイドのデービット、ガイドのウィルソン、私、そしてウェス。ウィルソンとデービットのサポートがなければ、多分ここまで来れなかったと思う。すばらしい経験をありがとう!

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