スイス・フランス・イタリア | モンブランの旅・その2 | 2000.7.5 - 2000.7.23 |
モンブランの旅・その2 略語一覧:
第6〜10日目(2000年7月10〜14日) 休息と雨宿り Chamonix(フランス)、Annecy(フランス) シャーモニーには、ウェスの体調が悪くて滞在していたが、その間雨がずっと降っていた。彼の体調が回復してきても、雨は降り続いた。気温も低く、まるで冬のようだ。 2日前にモンブランの登頂にでかけた、Yves AstierとKurt Wedbergが率いるグループが帰ってきて、残念ながら天候が悪く、登頂は断念したと言う。山の途中の小屋で2泊したが、気温は摂氏マイナス25度で、大吹雪だったとのこと。シャーモニーの街では小雨がずっと降り続いていただけだが、山の上は別世界だ。 積雪は1800メートルまで下りてきており、今まで登ってきた峠は全て雪一面だろう。もし、標高の高い周りから隔離された山小屋で吹雪に遭っていたら、雪で隠された登山道を自分で探すのは危ないので、何日もやることがないまま山小屋に缶詰状態だったと思う。少なくともシャーモニーには歩き回る街があるのが救いだと、お互いをなぐさめる毎日である。 いいかげん雨宿りにも飽きてきた頃、滞在先のホテルのお姉さんから薦められて、シャーモニーから電車で2時間半で行けるAnnecyという街に2泊した。歴史のある、かわいらしい街で、登山の途中の雨宿りには最適な位置にある。
第11〜12日目(2000年7月15〜16日) Chamonix(フランス)-Les Houches(フランス) あと数日、曇りと雨の天気が続くいた後に夏が戻ってくるという天気予報を聞き、待っていられず、次の目的地へ向かう。シャーモニーからはTMBルートへリフト等で簡単に戻れるが、天候がすぐれないのでTMBを歩かず、電車でLes Houchesへ移動した。 駅から歩いていてなんとなく決めた宿、Hotel Slalomでの夕飯が嘘のようにおいしかった。TMBルート上で一番お気に入りの宿となる。もし他の宿に宿泊していても、夕飯の為だけにでも立ち寄る価値は充分ある。
第13日目(2000年7月17日) Les Houches(フランス)-Les Contamines(フランス) とうとう夏が戻ってくる。9日間待ちこがれた、青い空の元でようやくハイキングを開始する。 雨宿りしている間に寝坊の癖がつき、遅い時刻にようやく宿を出発する。宿の目の前から出発するゴンドラに乗り、2時間半分の距離を短縮する。あとは、5時間かけてCol de Tricotまでの登り、Miageの村への下り、Trucへの登り、最後にLes Contaminesまでの長い長い下りを歩き、今日の歩きは終わり。時間的にも運動量的にも、ちょうど良かったので、ゴンドラに乗らなかったらかなりつらい一日になっていたかもしれない。 Les Contaminesでは、宿の選択肢はたくさんある。疲れていた私たちは、一番先に目に付いた宿に決めたが、運良く町の中で一番安いホテルだった。オーナーもハイカーでこれからのTMBルートに関していろいろとアドバイスをもらうことが出来た。
第14日目(2000年7月18日) Les Contamines(フランス)-Bonhomme(フランス) 今日のハイキングは全行程の中でも、景色の美しさでは1・2を争う。もともとの予定ではLes Contaminesから22キロ程先のMotettes小屋に宿泊するつもりでいたが、5〜6時間ずっと登りつづけた後、体が予想以上に疲れており、途中の山小屋 Refuge du Croix du Bonhommeで宿泊することにする。 ContamineからCol de la Croix du Bonhommeまでの道は、標高1167メートルから2479メートルへの長い長い登りの道が続く。暖かい緑の牧草地から始まった一日は、雪に覆われた岩山で終わる。次から次へと違った表情を見せてくれる一日だった。今日の宿泊先
Refuge
du Croix du Bonhommeは標高2443メートルに位置する。夜は冷え込み、ルツェルンの友人から借りた寝袋を始めて使う。
第15日目(2000年7月19日) Bonhomme(フランス)-Courmayeur(イタリア) 歩く距離から判断すると、今日の宿はフランスとイタリアの国境から1時間ほど歩いた所にある、エリザベッタ小屋が最適である。しかし、数ヶ月前に雪崩で建物の一部が壊れた後、仮設テントが先週の嵐で流された為、コンディションがかなり悪くなっているエリザベッタ小屋には、ウェスがどうしても泊まる気がしないという。そこで、エリザベッタから歩いて1時間40分の所にあるバス停からバスで、イタリア・アルプスのリゾート地Courmayeurまで行くことにした。 今日の出だしは好調だった。まだ先週からの雪が残る道を、さくさくと登り、今日の一番標高の高いCol des Fours(2665メートル)には、簡単にたどり着く。そこからの雪道のくだりは楽しかった。雪の状態が良く、危険ではなかった為、雪の上はスキーの要領で滑りおり、苔のはえる緑の土地は、両手を広げてじぐざぐに駆け下りた。二人とも気持ちだけは10才の子供に戻る。昨日がTMBで一番きれいな景色だと思っていたが、Col des Foursからの景色はそれ以上にすばらしい。私達の後ろには、これまで下りてきた、雪に覆われた山が朝日に輝き、目の前には雪どけ水で湿っている草原が広がり、遠くには雪のベールをかぶった岩山がそそり立っている。細く続く登山路以外には、人工の物はまったく見当たらない。このようなすばらしい景色の中を、標高900メートルまで2時間半かけて下った。この後は、フランスとイタリアの国境の峠まではのぼりが続く。30分ほど登ったところで、昨晩宿泊する予定だった、モッテ(Motettes)小屋にたどり着く。ここでたっぷりと暖かい昼ご飯を食べ、2時間休憩する。 モッテ小屋からイタリア国境のCol de la Seigne(標高2516メートル)までは、約2時間のきつい登りが続く。エリザベッタ小屋の先のバス停まで最終バスが出発する前にたどり着くため、充分な休憩と水分の補強を怠ってしまったが、そのことをまだ気が付いていなかった。 フランスとイタリア国境を越えると、それまで分りやすかった登山路の印が見つけづらくなった。スイスでは、赤・白・赤のストライプ、フランスでは赤と白のストライプの印を、適当な間隔で見つけることが出来た。イタリアでは、オレンジまたは緑のペンキでべたっと塗ってあったり、黄色の丸があったりする。印の間隔は距離がありすぎ、迷子になったハイカーがあちこちに歩いた後が目に付く。 国境からバス停までは、思ったより距離があった。途中エリザベッタ小屋でトイレ休憩をして、国境から約3時間後にバス停につく。ウェスはこの時点でかなり体の調子が悪いことが明らかだった。ところでバスに乗るにはイタリア通貨が必要なので、前もって準備するのを忘れないように。 Courmayeurの観光案内所は、バス停のすぐ脇にあり、英語の分かる職員が親切に宿の斡旋をしてくれる。予約はいれられないが、部屋の空きがあるかを確認して、宿に仮押さえをしてもらえる。最初の晩は、あまりにも疲れていたため、とりあえず近くにある宿が良いとお願いしたため、Lo Scoiattoloというまるでビジネスホテルのような味気のない宿に宿泊することになった。夕食のイタリア料理はすばらしかったが、家庭的な温かい雰囲気はまるでない。 次の日に移動した先のSvizzero(写真と電話番号等は下を参照)は、家庭的で居心地の良いホテルだ。経営者のイタリア人家族は、私が頭に描くイタリア人の典型で、エネルギーに溢れるおばあちゃんとお母さんが、両手でジェスチャーをまじえて、大声で話す。いろいろと情報をさがしてくれるだけでなく、マッサージの予約や次の日の宿の予約までしてくれた。お互いの片言の英語・フランス語、ときどきイタリア語も交じり、最後にはボディーラングエッジでなんとか会話をしたが、とても楽しい経験だった。
第16日目(2000年7月20日) Courmayeur(イタリア)休息日 前日のスケジュールはきつすぎたようだ。充分な休憩と水分の補給をせずに歩いた結果、ウェスは夜中にはげしい頭痛と、吐き気に悩まされる。私はウェスよりは軽い症状だったが、朝起きると軽い頭痛と吐き気があった。 どうにかLo ScoiattoloからHotel Svizzeroに宿を替わり、水分を補強しながら、一日寝て過ごす。これからは、7時間以上強い日差しの中で歩くときは、水分を必要以上に取るように覚えている必要がある。 夕方にCentro Estetico Body Worksでマッサージを受ける。マッサージの後、随分エネルギーが戻ってきたようだ。予約の電話番号は0165-84-20-99まで。観光案内所から歩いて15分位の所にある。 第17日目(2000年7月21日) Courmayeur(イタリア)〜La Vachey(イタリア) 朝起きてみると、ふたりともまだ少し頭痛が残っていたが、すばらしい天気を前にして、先に進まずにはいられなかった。Harperの本によるとこの日のルートは、約5時間の距離で、景色は特にすばらしいようだ。ゆっくりと歩き、7〜8時間くらいかけて、水分の補給を充分にしようと合意する。 CourmayeurからLa Vacheyへのハイキングは、すばらしい景色の続くTMBルートの中でも、特にすばらしい景色を楽しめる。私たちの一番のお気に入りの日となった。この前の2日間に渡る、きつい歩きとはまったく比較にならないほど、気軽なハイキングが楽しめる。 Courmayeur から La Vachey へは、低地沿いにバスでの移動も可能だが、絶対に Monte de la Saxe 経由で行くことをお勧めする。この日のハイライトは、雪に覆われたアルプスの山々と平行して、標高2200メートルのMonte de la Saxe の草原の上を2時間程歩いた時だ。すぐ目の前に、氷河をベールのようにかかげる、イタリア側のモンブランが、周りの4000メートル級の山々を従えて、まるで手がとどきそうな近さにそびえたつ。私達の左側には、2日前に越えた、フランスとイタリア国境のCol de la Seigneを眺めることができ、右側にはスイスとイタリアの国境となる山々がそびえ立つ。景色があまりにも雄大で、写真に収めることは不可能だ。ウェスはMPEGのビデオを撮ったが、ここの景色は実際に訪れないと、写真でもビデオでもお伝えすることは、残念ながら出来ない。 La
Vacheyでのホテルはひとつしかないので、選ぶ手間が省ける。
第18日目(2000年7月22日) La Vachey(イタリア)〜La Fouly(スイス)〜Chamonix(フランス) ずいぶん体調が良くなった私たちは、La Fouly までの比較的簡単なハイキングに向けて早めに出発する。La Fouly からは、バスと電車を乗り継いで、シャーモニーまで行く予定だ。 今日のハイライトは、フランス・イタリア・スイスの国境を分ける、Mont Dolentの眺めだが、今までの3日間の景色と比べると、かなり見劣りがした。 TMBルートの最初の1時間は、道沿いなのでバスにのって時間を短縮した。バス停から2時間程山を登ると、イタリアとスイスの国境である Col du Grand Ferret に到着する。ここからフランス・イタリア・スイスの国境を分ける、Mont Dolent を見ることが出来る。ここから約2時間半かけてLa Fouly の街まで降り、そこから Orsieres 行きのバスに乗る。バスの中には、次の目的地Champexまでバスで行くTMBを歩く人々で溢れていた。地図によると、La Fouly から Champex(私達のTMB開始点)までは、ほとんど車道沿いに歩く、あまりおもしろくない一日になると判断したが、周りのハイカーも同じ判断をしたようだ。 Champexまで行くハイカー達とはOrsieres で別れ、私たちは電車でMartignyへ向かい、そこからSt. Bernard Expressでシャーモニーへ出発した。 予定では、最終電車に乗り、8時にはシャーモニーに到着するはずだったが、Martignyを出発して30分くらいした頃、かなり急な山の斜面を登っている途中のトンネルの中で、突然登山電車が「ひゅううん」という情けない音を出して、止ってしまった。車掌さんが真っ赤な顔をして、あせりながら電車の中を行き来している。時々明かりが消え、トンネル内にいる電車の中は真っ暗になった。何回か再出発させる度に、パワーが足りずに少しづつ山の斜面をづり落ちだした。 このまま直らず、ブレーキのシステムまで壊れてしまったらどうしよう、と考えだしたのは、私だけではなかった。同じ頃、ウェスは非難手段を考えており、私はある小説で同じような境遇にあった主人公が死ぬ場面を考えていた。 幸運なことに、テクニカルサポートが歩いて到着し、長いことコンピュータと機械相手に格闘した後、約1時間後無事登山電車が動き出した。 シャーモニーでは8日前に宿泊した、Hotel
Meubleにまた戻った。
第19日目(2000年7月23日) Chamonix(フランス)〜Lac Blanc・最終日 悪天候でとばしたシャーモニーバレーのTMBルートをハイキングする為にシャーモニーに戻って来た。今日はシャーモニーバレーの中で一番景色が良いと言われる、Lac Blancまでシャーモニーから日帰りで行く。今日は雲がかなり低く下りてきていたが、 Index, Lac Blanc, La Flegere 間約8キロを歩く。 天気が良ければ、Bleventまで歩いて行くつもりでいたのだが、残念ながら、Lac
Blancから下りる途中で雨が降り出し、ケーブルカーで下りる。私達がシャーモニーに来ると雨が必ず降るのは、なぜだろうか?
こうして、私達の長いモンブランの旅が終わった。もう一度出来たらやりたい?もちろん!! 私達の Tour du Mont Blanc のまとめ
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