スイス ルツェルン・モントルー 2000.7.1 - 7.5

そして、アルプスへ

スイスのおへそ

ルツェルンはちょうどスイスの真ん中あたりに位置する。高校からの友人がルツェルン出身の男性と結婚して以来、この街に住んでいる。今回の世界旅行中に是非会いたい人のひとりである彼女に会うため、パリのあとすぐに、この街へやってきた。フランスの残りは後でも出来るが、友人一家はこの夏の終わりに、アメリカに引越すことになってしまった為、引越しであわただしくなる前に、顔を出すことにしたのだ。

パリから電車で約7時間半でルツェルンにたどり着く。ルツェルン近くには、そんなに標高の高い山があるわけではないが、今までの平らな風景になれた目には、非常に高い山が周りをとりかこんでいるように見えた。山の形が独特で、どこからか山を借りてきて、ちょっとここにおいておきましょうと置かれたか、または山の部分だけ映画で使われるバックグラウンドが使われているという感覚だった。

天国と地獄

イギリスのB&Bのバスルームで、おもしろい一文が壁に飾ってあった。

天国とは、
警察がイギリス人で、
料理人がフランス人で、
車の修理工がドイツ人で、
恋人がイタリア人で、
スイス人がまとめ役。

地獄とは、
警察がドイツ人で、
料理人がイギリス人で、
車の修理工がフランス人で、
恋人がスイス人で、
イタリア人がまとめ役。

スイスにやってきたとたんに、スイス人の系統だって物事をすすめる才能に毎日感心することになる。

まず、駅員さん達の知識の豊富なことが、フランスの駅員さん達とあまりにも違う。スイスには、電車の割引券の種類が数多くあるが、自分たちのスケジュールにはどれが一番お得なのかが、分からなかった。私たちのスケジュールはきちんと決まっていなかったが、大体行きたいと思っている所を駅員さんに伝えたら、コンピュータを使って一番安い方法は何がいいかと、途中で気が変わってルート変更をするにもとても融通がきくことを教えてくれた。

ロンドン・エジンバラ・パリでは、電車がどのプラットフォームに来るのかが、発車間際まで分からず、電車の発着案内版とにらめっこしながら、待っていなくてはいけなかった。スイスでは日本のように、どこ行きの電車が、どのプラットフォームから、何時何分に出発するかが、きちんと前もって分かっている。

友人とは電子メールで連絡をとっていたが、いつ都合がよいのかの返事がなかなか来ず、行きたいと思っていた日の一週間前くらいに電話すると、私とは面識のないスイス人のご主人がでて、数分話しているうちに、いつの間にか、彼の友人のバックパッカーの宿に予約を入れてくれること、着いた次の日にお祭りがあるので、一緒に行かないかと誘ってくれたり、また着いた日に駅まで出迎えてくれることまで話が進む。まるで魔法のようだった。

やはりまとめ役はスイス人にお願いしたい。

語学の達人

友人の2歳の娘は語学の達人である。スイス人のお父さんにはドイツ語で、日本人のお母さんには日本語で話しかける。お父さんとお母さんの会話は英語でされるので、二人両方に話しかける時は、英語で話す。

ドイツ語しかしゃべれない、お父さんの両親と、日本語しかしゃべれない、お母さんの両親が一緒にいると、誰にどの言葉を使えばよいのか、きちんと見極めてしゃべっている。私にも日本語ではなしかけてくれる。英語で話しかけると、英語で返事をし、日本語で話しかけると、日本語で返事をする。彼女にとっては、当たり前のことかもしれないが、私にはとても感動する出来事だった。

そして、同じくらい感動したのが、私の友人の語学力の進歩だった。確か高校時代は英語が大嫌いだったはずなのに、ご主人とは英語で会話し、ご主人の両親とはドイツ語で会話が出来る。義理の両親とドイツ語で会話をしている彼女の姿を見た時には、人間やる気になればやれるんだと深い感銘を受けたのだった。

そして、アルプスへ

アルプスでハイキングすることは、世界旅行の中のメインイベントのひとつである。とは言っても私たちがハイキングに興味を持ったのはそんなに昔のことではない。

私は子供の頃、学校の行事で無理やり行かされる登山は大嫌いだった。何が面白くて山へ登るのかまったく理解できなかった。高校は女子高へ通ったが、運動部の中でも登山部は異色だった。私の登山部の印象は、枯草色のズタ袋を背中に背負い、校内でも一番暗い室内階段を、行列を組んで、登ったり下ったりの繰り返している、始終うつむいている彼女達の姿である。

しかし、ある時私の登山に対する印象が、まったく覆されることになった。ウェスと結婚する前年の年(1992年)の夏に、ふたりで北海道へ旅行した。途中大雪山に立ち寄った時に、気軽な気持ちで登り始めた。登山などする気もなかった軽装の私たちは、登り始めて楽しくなりだした頃に、残雪に先を阻まれ、仕方なく引き返すはめになった。この時から趣味としてのハイキングが始まった。

東京に帰ってすぐに登山靴を買い、週末に東京近郊の山に日帰りで登りだした。1994年末に、ウェスの仕事で北カリフォルニアに引越してからは、シエラネバダやヨセミテ国立公園が近くにあったので、やはり頻繁に日帰り登山や、週末のキャンプ旅行へ出かけた。こうして、山へ行き、自然の中で週末を過ごし、時には自分の体力の限界へ挑戦することは、私達の生活の一部となった。難しい登山をやりとげた後の達成感は何事にもたとえ難かった。

シンガポールへ転勤になってからは、気軽に山に出かけることは不可能だったため、かなり不満が溜まっていたようだ。シンガポールを去り、この世界旅行へ旅立った途端に、シンガポールに滞在している間出来なかったことを、次々にやりだすことになった。

私達の世界旅行で訪れる予定の所には、大都会よりも自然の美しい所や登山の名所が多いのは、こういう背景がある。かねがね行けたらいいな位に思っていたアルプスにようやくこれたのは、これもシンガポールに滞在していたおかげであろうか。

 

ルツェルン

数枚写真を撮ったのだが、ウェスが間違えて消してしまったようだ。。。

モントルー

レマン湖畔にたたづむシヨン城

既に数多くの城を見学した後だったので内部の見学ツアーはそれほど楽しめなかったが、ウェスはおおいに楽しんでいた。好き嫌いは人によるのであろう。


戻る2000年旅行記目次スイスの地図ホーム

  Copyright © 2000-2002   Wes and Masami Heiser.   All rights reserved.