セルビア ベオグラード 2002.09.20 - 09.21

空爆の後

セルビア共和国の首都ベオグラードは、かつて経済、文化の中心として栄えた時代もあった。しかしコソボ問題が悪化した結果、1999年3月からNATOによる78日間の空爆を受け、数多くの建物が破壊され、また経済封鎖の影響で町並みの様子はかなり寂しげな様相であった。住民の大多数はセルビア人であるが、街中を歩いている人々や、バスやトラムで見かける人々は、あまり笑顔を見せず、悲しい過去を引きずっているような印象を受けた。とは言っても、人々は基本的にとても親切で、町ではいろいろな人に助けてもらった。後に訪れたサラエボの町と比べると、活気が少なく、町独特の「魂」が欠けているような気がした。昔の様子がどうだったのか私は知らないが、活気が戻る日が一日も早く訪れるよう祈るばかりである。

世界一親切な日本大使館

世界一とはおおげさかもしれないが、ベオグラードの大使館を訪れてあまりにも親切にしていただいたので、感激が大きくてちょっとその時の経験を書いて見たい。ベオグラードの大使館の事は、イスタンブールのコンヤペンションの情報ノートで知った。数人の人が領事部の方(名前を聞くのを忘れてしまった)に、中国大使館への行き方等をとても親切に教えてもらったと書いてあったのだった。大使館はどうしても行かなくてはいけない理由がないといかないという感覚があったので、ちょっと情報をもらいにという理由で行った私達は大使館の入り口でちょっと緊張した。しかし、「ご用件は?」とインターコムを通して聞かれた時に、「情報ノートがあると聞いたのですが」と言うと、「どうぞお入りください」と明るく言われた時には、正直言って驚いた。領事部の中に入って見ると、居心地の良さそうなソファーがいくつかと、日本語の本やガイドブック、日本語の新聞までおいてあって感激してしまった。そして今度は奥から日本人の男性がにこやかに出てこられて、「何かお手伝い出来る事はありますか」と話しかけてくれた。

お言葉に甘えて中国大使館への行き方を聞き、どうして中国大使館が爆撃された後再建されないかの理由や、ユーゴとその周辺の情報を教えてもらった。忙しい業務の中、一介の旅行者の私達に貴重な情報を分けていただいた事は、貴重な経験ともなった。居心地の良いソファーに座って、何間でものんびりしていきたい雰囲気だったが、私達はそう時間があるわけではなかったので、情報ノートと地域情報に目を通し、情報ノートに記入して思い足を引きずって大使館を後にした。
1999年のNATOによる78日間に渡るベオグラード空爆時に爆撃された中国大使館。正面からみると被害のひどさがあまり分からないが、裏から見ると窓はもちろんの事、内部も完全に破壊されている様子が分かる。中国側はアメリカ政府に再建費を出すよう要求しているが、アメリカ政府は拒絶したので、まだ爆撃時の状態のままである。
カレメグダン公園は、サバ川とドナウ川の合流する丘の上にあり、町を見渡す事が出来る。紀元前4世紀にはすでに要塞が造られたといわれ、その一部が今も残っている。

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