モロッコ ワルザザート 2001.01.30 - 2001.02.01

眠れない夜

マラケシュからワルザザートへは、かなりひんぱんにバスが出ている。前の日にマラケシュのバスターミナルまで歩き、値段とスケジュールを調べておき、当日はメディナ(旧市街)からタクシーを拾って(7DH:値段を知ってないとぼられるから要注意)、バスターミナルへやってきた。前日はバックパックを背負ってなかったせいか、だれも声をかけて来なかったのに、今日はタクシーを降りたとたんタクシーの運転手やにせガイド等があちこちから寄ってくる。

「バスなんか乗らないでタクシーで行こう!」「バスのチケットはそっちじゃないよ。バスで直接買える(多分この人が手数料をとるつもり)。」「私がチケットオフィスへ案内しましょう(これも案内料とるつもり)。」

群れてくる男達を振りかわしようやくバスのカウンターへたどり着き、ワルザザートまでの切符を買おうとすると、昨日言われた値段よりちょっと高い。おかしいというと、安いほうの値段は11時のバスで12時半のバスはファーストクラスだから高いのだと言う。しかし、実際にバスへ行ってみると、むちゃくちゃぼろぼろのファーストクラスバスだった。結局チケットオフィスの人にだまされたようだ。おまけに荷物代をひとつあたり、5DHもとられてしまった。もしかして私たちだけかと思い、他の現地人の様子をみていると、荷物代を払っている人もいるし、なんだかどなりちらして払わなくてすんでいるおばさんもいた。よくシステムが分からない。

とにかくバスにも乗れたしこれで一安心、もうだれも邪魔する人はいないと思っていると、バスには次から次へと、食べ物からスリッパまで、また誰がこんなのバスで買うわけと思うような物さえ持って、子供からおじいちゃんまでがバスの中に売りに入ってきた。また、物売りに混じって、物乞いの女性も乗ってくる。子供を抱いて涙ながらに訴える女性がかわいそうになってしまい、ヨーロッパでは物乞いに決してお金をあげることはなかった私たちでさえちょっとお金をあげてしまった。

そんな物売りと物乞いの合間をぬって、やけに明るい観光客二人が乗ってきた。ニューヨーク・ブルックリンからやってきたエドウィンとジョニーだ。彼らとはすぐに仲良くなって次の24時間を一緒に過ごすことになった。

私たちの乗ったぼろぼろファーストクラス・バスは、バスターミナルで1時間近く遅れた後、エンジンもスカスカというなさけない音を出しながら、アトラス山脈のTizi n'Tichka峠をなんとか越えて、約5時間(途中30分の食事休憩あり)でワルザザートへ到着した。

バスで出会った二人組みのひとりエドウィンは、エルサルバドル人とトルコ系ハンガリー人の両親を持つが、見た目はアラブ人とそっくりである。いろいろなモロッコ人とすぐに打ち解けて友達になってしまう。「僕たち兄弟みたいだ!」「あなたは私のお父さんにそっくりです。」また、ニューヨーク育ちの二人は、どうな状況にいても必ず言い返す言葉を思いつくことが出来る。例えば、ワルザザートのバスターミナルで私たちに話しかけてきた、ホテル・ババのマネージャーのムスターファと話していたときのこと。

ムスターファ:今日僕は偶然にバスターミナルに入ったんだよね。

ジョニー:よく言うよー。僕たちはニューヨークに住んでるんだから(そんな嘘はすぐ見破れるという意味)。そんな偶然あるわけない。

ムスターファ:あれ、もしかして僕の言うこと信じてないみたいだね。

ジョニー:もしかして君は本当のこと言ってないね。


その後二人は、笑いながら肩を抱き合って会話を終わらせた。そしてその2日後、私たちが宿を出る時に、バスターミナルから着いたばかりの日本人の旅行者一人と一緒に歩いてくるムスターファとすれ違った。またまた、バスが到着するときに偶然その場に居合わせたのであろう。

タクシーの値段調査・誰が一番ぼられるか

私たち4人は、ワルザザートから32キロ北にあり、アラビアのロレンスやナザレスのイエス等数多くの映画の舞台になった、修復されたカスバ(古い砦)であるAït Benhaddouに訪れるつもりでいた。交通手段が限られているので、4人でタクシーを数時間貸しきることにした。夕飯を食べながら、いくらまでなら出すかを相談し(4人で200DH位)、翌日の朝にグランタクシー(ベンツの乗合タクシーで前に3人、後ろに4人合計7人が一台の車に乗る)乗り場へ行き、大勢いるタクシーの運転手相手に競争心を掻き立てる戦略をとることにした。エドウィンのアイデアでは、まず4人でタクシー乗り場へ乗り込み、一人運転手が声を掛けてきたら、4人が分散して別々に値段を聞くことだ。これで、アラブ人に見えるエドウィン、プエルトリコ系のジョニー、白人と日本人ハーフのウェス、日本人の私の4人がどういう値段をふっかけられるかを調査できる。その日の夜ホテルのムスターファは300DHで運転手を見つけてくれると提案した。

翌日朝食を食べていると、ムスターファが200DHで運転手を見つけてみると言い出した。しかし、この時点では私たちは昨晩合意した調査をどうしてもしてみたくなり、ムスターファには、リサーチのために自分たちでタクシー乗り場へ行ってみると言いホテルを去った。調査の結果私たちが得た一番良い値段はそれぞれ、エドウィンが350DH、ウェスは300DHで、私も300DH、ジョニーは途中で水を買いに行ってしまったので調査のチャンスを逃すことになった。タクシーの運転手達には、ホテルでは200DHでやってくれると言いその場を去った。ホテルに戻る途中、一台のタクシーが私たちの後をついて来るのに気が付いた。「分かった。200DHで連れて行きましょう。」

Aït Benhaddouは、確かにスクリーン映えしそうなエキゾチックできれいな所であった。時々近所に住む子供たちが、飴くれとかお金くれとか言ってくる以外は静かで落ち着ける場所である。ジョニーとエドウィンが土産物屋で買い物したり、一緒にモロッコの太鼓タムタムを叩いたりしながら楽しく時間を過ごした後、ワルザザートへ帰ると、その日のうちにワルザザートの南の町ザゴラへ向かう二人とはお別れとなった。その後長いこと二人のことを懐かしく思い出すこととなった。

ミントティーと眠れない夜

イスラム教の国モロッコでは、一応お酒が飲めないことになっている。お酒の代わりにモロッコ人が朝から晩まで飲むのがミントティーである。中国茶を熱湯で数分煮込み、新鮮なミントの葉と大量の砂糖を加えて供される。最初飲んだときは、あまりの甘さに圧倒されたが、乾燥して暑い気候の中にいると体が糖分を必要とするのか、いつのまにか甘さが気にならなくなってくるのが不思議である。

ジョニーとエドウィンが買った土産物屋でミントティーをご馳走になり、その後ウェスと二人でワルザザートの町を歩いていて、なんだかしらなけど何度もカーペット屋につかまりミントティーを飲むはめになった。そんなことを続けていると、カフェインの取りすぎで夜なかなか寝付けない。モロッコに入ってからそんな日が何日もある。もう、ミントティーなんか見たくもないと思った次の日に、勧められるとまた飲んでしまうの繰り返しである。モロッコといえばミントティー。

Aït Benhaddouから帰った後、ワルザザートの唯一の観光スポットであるカスバ(砦)まで延々と歩いて行った。途中何度もカーペット屋につかまりながら、ようやくカスバが見える所まで到着すると、よく話に聞いた自称ガイドの若者につかまってしまった。適当に追い払ってもよかったのだが、一度位経験してみても面白いかもと思い、ついて行くことにした。迷路のような道をあちこち連れていかれて、ここはパンを焼くところだとか、いろいろ説明しながら、案の定カーペット屋(ここは毛布を売っていたが)に連れて行かれた。ここのお店では実際に織物をしている所を見られて面白かったが、私たちは買うことが出来ないという説明をしてもどうしても納得してくれない。どうやらここに連れて来られて買わないで帰った観光客はいなかったようだ。正直言って、私は一生懸命説明しているおじさんに申し訳なくて、ちょっと良さそうなのを一枚買ってしまおうかと思った程だ。しかし、後になってあの時買わなくて良かったとつくづく思ってしまった。ようやくカーペット屋を脱出して、真の目的地の近くで自称ガイドの青年はお別れを言った。お礼を奮発して20DHあげると、あと10DHくれと言われてしまった。冗談じゃない。カスバには閉門時間ぎりぎりだったので、入るのはやめることにした。たった一箇所の目的地にたどり着くまでに、なんと多くの障害があったことか。しかし、この障害こそがモロッコ体験なのかもしれない。


ワルザザート

独特な音色の弦楽器amzhadを伴奏にすばらしい声で民謡を歌うおじさん。ホテル・ババの前で朝ご飯を食べていたら、遠くを通り過ぎるこのおじさんを発見したエドウィンが、走って呼んできてくれた。

次のかもを待つ、カーペット商人達。何も知らない観光客を連れ込む手口はいろいろだ。「中でミントティー飲みましょう。何も買わなくていいから。」「友達が日本にいて手紙を書きたい。手伝って。」「私ベルベル人。ベルベルホスピタリィーを見せましょう。」

Aït Benhaddouの前を行く、らくだに乗ったひと。Aït Benhaddouは20以上の映画の舞台になったという。これもまるで映画の一シーンのようだった。

Aït Benhaddouは最近修復された古い要塞である。このように壁の細かい飾りがあちこちに見られる。

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