イタリア ローマ 2001.06.13 - 2001.06.17

永遠の都

今までローマに与えられた称号、永遠の都の意味を深く考えたことがなかった。しかし今回の短すぎる4日間の滞在期間中にどうしてローマがそう呼ばれるようになったのかなんとなくだが理解できるようになった気がする。こんなにも長く芸術的にも政治的にも繁栄した都市は他にはないのかもしれない。そしてその繁栄の名残は街のあちこちで目に入る。

古代ローマ遺跡から、中世芸術、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロック、そして近代芸術に至るまで、歴史上多くの人々が自らの才能を惜しみなく費やした成果が残されている。重要な史跡や芸術品を残すことなく見ようとしたら、少なくとも1週間は必要だと思う。私達は今後のスケジュールの都合と安宿が混んでいて予約がとりずらかった事情により4泊しかできなかった。その結果毎日朝早くから夜まで休む間もなく、ローマの街を隅々まで歩くはめになってしまった。それでも見残したところがいくつもある。またいつか戻って来たい街である。

ローマで一番印象に強く残ったのは、何と言ってもシスティーナ礼拝堂内のミケランジェロによるフレスコ画だ。13年前の冬に訪れたときには、フレスコ画の修復作業の真っ最中で一部が足場に覆われていた。そしてその足場を境にして、過去の下手な修復作業で修正され、長年の埃や雨漏りにより黒ずんで、全体的に灰色がかった色調のフレスコ画と、まるでつい最近完成したばかりのような色鮮やかな色彩の大きな対照が大変おもしろかった。その修復作業も終わり、礼拝堂内では見る人全てを感動させずにはいられない威圧感のある宗教画に対面できる。ミケランジェロは本当に天才だったのだという考えが何度も頭をよぎる。ヨーロッパを旅行していると似たような題材を取り扱った宗教画を見かけることが何度もある。しかし見る者の感動をここまで引き起こす作品は今まで出会ったことがない。

しかしこのシスティーナ礼拝堂にたどり着くまでが一苦労である。システィーナ礼拝堂はバチカン美術館の一部になっており、バチカン美術館に入るのに長蛇の列ができるのだ。私達は会館時間の9時ごろに着いたが、すでに1キロくらいの列ができていて、入るまでに約1時間半かかった。入ってから私達はまずシスティーナ礼拝堂に直行して、十分満足するまで鑑賞してから美術館の残りを楽しむ予定でいた。しかしシスティーナ礼拝堂は細長い美術館の建物の入り口とは逆の端にあり、多くのグループ客が行く手を妨げる細い回廊を延々と歩いていかなくてはいけない。また途中で出入りすることが出来ないので、結局美術館内を2周するはめになってしまった。


バチカンとローマ

聖ピエトロ寺院内は荘厳な雰囲気で、ふと周りを見ると皆口をあけて辺りを見渡しているのが、笑ってしまう。

聖ピエトロ寺院内にある、ミケランジェロ25歳の時の作品ピエタ像。大学の美術の先生によると、マドンナの上半身と比べて下半身が非常に大きく作られていることから、作品としてすばらしい安定感をもたらしているそうだ。

バチカンの警備を受け持つのはスイス人の傭兵さん達。15世紀に命をかけて法王を守った実績を買われて以来の伝統だそうだ。

エジプトから持ち去られたオベリスクがローマ市内あちこちで目に入る。中でも一番大きくて保存状態が良くみえたのが、このポポロ広場にあるオベリスクだ。エジプトのどの都市よりもローマでの方がオベリスクの数が多いのは皮肉な結果だ。

内部を大理石、モザイク、フレスコ画で美しく装飾されたBasilica di San Giovanni。

Basilica di Santa Maria Maggioreの中を飾るすばらしいモザイク。

古代ローマ時代には、剣闘士が命をかけて戦ったコロッセオは、今は観光バスから降りたった団体客で賑わう観光名所だ。

またローマに戻って来れるようにと、トレビの泉にコインを投げ入れるウェス。

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