ドイツ ベルリン 2000.9.30 - 2000.10.7

ベルリンの壁の跡

冷戦の象徴であった、ベルリンの壁が1989年11月に崩壊してから11年近くがたった。そして、東西ドイツが統合されてから、今年(2000年)の10月3日が10周年記念だった。今現在ベルリンへ行っても、冷戦の頃の緊迫した空気はまったく感じられない。第二次大戦後、ソ連の占領下にあった旧東ベルリンとイギリス・フランス・アメリカの占領下になった旧西ベルリンの差も、言われてみないとほとんど分からない程だ。博物館やごく一部残されたベルリンの壁の跡を見ることで、当時の様子をようやくうかがい知ることが出来る。

旧東ドイツ政府が、国民の西側への亡命を防ぐために、1961年にベルリンの壁を作ってから、5000人以上の人がいろいろな方法で西ベルリンへの逃亡に成功した。東西ベルリン間の検問所のひとつだった、チェックポイント・チャーリー跡近くにある、チェックポイント・チャーリー博物館では、逃亡に成功した人達の話と写真を展示してある。車を改造して人を隠したり、気球を使ったり、壁の隣りにある家の庭からトンネルを掘ったりと、よくまあここまで考えたと感心するアイデアがたくさんあった。

今となっては当時の様子を想像することしか出来ないが、壁の崩壊前に訪れていたら、いったいどういう印象を抱いたのだろうか。また、壁が崩壊した時にベルリンにいたら、どんな様子だったのだろうかと思うと、歴史が作られる瞬間を目撃できなかったことが残念でならない。


ベルリン

ブランデンブルグ門。壁が崩壊する直前、東ベルリン市民が大勢集まり、壁を越えて西側に入り、大騒ぎした所。ドイツの統合10周年記念日には、野外コンサートや仮設のビヤガーデンがここで開かれていた。

Berliner Dom(教会)。

冷戦の象徴であった、ベルリンの壁。
ポツダム

(ベルリンから電車で45分位でいけるポツダムは、緑が多い中に18世紀に立てられた宮殿が数多く残る美しい街である)

Sanssouci 宮殿。ロココ式の宮殿内は華麗でいながら、なぜか居心地の良さそうな雰囲気があった。応接の目的には使われず、居住の目的のみで設計されたからかもしれない。

ベルリンとドイツの分割へのお膳立てとなった、ポツダム会議が開催された、Cecilienhof 宮殿。
Sanssouci公園内の他の宮殿(左が Neues Palais、右が Orangerieschloss)


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