フランス とくに場所はなし 旅に出て6ヶ月間の感想

旅と共に変わる私

Masakoさんへの便り

自己紹介の中の世界旅行のきっかけの中に出てくる、シンガポール在住のMasakoさんからのお便りの中で、「長く旅をするにつれて変化する、旅への感じ方を是非書いてみてください。」という、うれしい応援文があった。それを見て、そういえば他の長期旅行者のホームページを読んでいて、私も同じことを読んでみたいと思ったなと気が付いた。 Masako さんのお便りがきっかけで是非ホームページに書いてみたいトピックが見つかったのだが、いざ書こうと思ってもなぜか書きそびれてしまった。その時期はどうやらスランプに陥っている時で、ホームページを綴るのにもどうも筆が進まず、そんなことをぼやいていて Masako さんにはげまされている時でもあった。きっかけがなかなかつかめなかった私は、Masako さんへのお便りで気持ちを率直に書いてみることにした。聞いてくれる対象が具体的に分かる方が書き易い時があるのだが、まさにこれはそういう時だった。以下は彼女への便りから抜粋したものだ。

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まず、旅を始めてからの4週間は、見るものすべてが珍しく、すばらしく感じて、あっという間に時間が楽しく過ぎていきました。またその時期イギリスにいたことから(言葉が通じるので)、出会うひとびととの会話が刺激になり、考えさせることが多かったことも、旅行としての楽しさを増すことになりました。

しかし、旅の経験は充実していたと同時に、ウェスと二人で24時間を過ごすことに関しては、波乱の多い時期でもありました。ホームページでは、もうちょっと詳しく書くと思いますが(注:次の項目「ボーボワールとサルトルのこと」参照)、今までそれぞれ自分の世界を持っていた二人が、いきなりお互いしかいない世界に飛びいることで、私はストレスが溜まり(ウェスはあまり感じてなかったみたい)、しかし何が問題なのかを説明することが出来ず、苦しい日々もありました。イギリスを出てパリにたどり着いたとき、思想家のボーボワールの例を出して、ウェスと話し合いをしてようやく分かってもらい、それ以後は上手くお互いの距離をつかめるようになりました。

6週間目からの2ヶ月を過ごしたスイスでは、ルツェルンで再会した友人家族以外とは共通の言語を持たなかったので、イギリスのように出会った現地の人と刺激的な会話をしたり、新しいことを勉強することはありませんでした。スイス各地のアルプスの山々を登り、充実した時間を送ったとはいえ、内面的には変化のない時期だったと思います。ひとつよく覚えていることは、家庭菜園を見るたびに、いつかまた定住したら、私も家庭菜園を作りたいと切実に思ったことです。でも、よく考えたら、この時期が自分にとって何が大切なのかを考えるきっかけになったかもしれません。

スイス・オーストリア・ドイツを通して、急ぎすぎた時や体が休みを欲しているときは、不思議なようにけがをしたり、風邪をひいたりと体調をくずしていた気がします。

そして、確か4ヶ月位経った時に、これから必要なら何年でも旅を続けていける自信がついてきたはずです。それまでは、本当に長期間旅を出来るのか不安な気持ちで一杯でしたが、だんだんと「なんとかなるや」という気になって来たのです。それと同時ぐらいに、仕事をしていたときは、朝起きて会社に行ってというのが日常生活だったのが、旅をしていることが日常生活と感じられるようになりました。それまでは、心のどこかで特別なことをしているという感覚がつきものだったのが、今いる所から次行く所が分からない生活がそんなに特殊なことに思えなくなったのです。

5ヶ月目のドイツでは、偶然知り合った人と昔からの知り合いとの会話から、自分の人生、違う文化、人々、旅の後何をしたいのか、どこへ住みたいか等のことについて、大変考えさせる経験をしました。まるで、この時期を待っていたかのように。。。

5ヶ月目に訪れたミュンヘンとプロバンス地方のグラスという都市では、それぞれ友人・ウェスの友人の家族の家でお世話になりました。友人や知人の家族から、人々の優しさを心から感じたすばらしい経験をしました。グラスのウェスの友人のお兄さんのお家では、狩をする人に対して少し考え直させられました。今まで狩をする人は、動物をスポーツで殺すことに楽しみをいだく悪人のイメージがあったのですが、冷血な人ではなく、心優しいハンターを時間を過ごし、今まで持っていた偏見を見直さなくてはいけないと思いました。でも、私は絶対ハンティングは出来ませんが。。。

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旅への感じ方を書くのに一番難しいのが、どの部分が時期的に関連していて、そしてどの部分が場所に関連するのかを判断することだ。実際には、どの時期にどこの場所にいたから結果的にこう感じたというように、時期と場所が複雑に交わって上の電子メールの内容のような印象が生まれたのだと思う。

ボーボワールとサルトルのこと

フランスの思想化ボーボワールとサルトルがまさかこんなところで活躍するとは思わなかった。ボーボワールとサルトルについては手元に参考資料がないので、うろ覚えの記憶でしか話が出来ないので、どなたか間違えを見つけたら、ご連絡ください。

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イギリスを周ってロンドンに戻って来た頃に、旅行に疲れを感じ始めた時があった。旅行を始めてからまだ3週間しかたってないのに、先が思いやられる。本当に1〜2年間も長期旅行を続けられるのか本当に疑問に思うようになった。その時泊まっていた地域があまり安全な地域でなかったり、宿泊先が汚れていて落ち着かない所だったせいなのだろうか。

また同時にウェスと行動するのもつらくなってきた。今までは会社や友人との生活があり、自分で好きなようにコントロールできる時間があったのに、旅行に出たとたん、全ての時間をウェスと二人で共有することになる。これは想像した以上に、精神的に疲れることだった。特に会社では20人程の部下を指図していたウェスにとって、いきなり指図する相手がいなくなり、しかも管理するプロジェクトもなくなってしまった。彼は最初の頃仕事に注いでいたエネルギーを全て旅行に注ぎ直す勢いで、全ての行動を完璧に行おうという姿勢があった。私としてはたまったもんではない。

ある日がまんができなくなり、次の日を別行動の日とした。一日を自分の好きなように、好きなところで過ごせることでかなり気持ちがすっきりとした。ウェスはどうして別行動をしたいのか理由を聞きたがったが、その時は納得するように上手く説明が出来なかった。

旅に疲れだした件に関しては、ロンドンで友人のティムとパムと話していて、いろいろな新しいことを思いつき、先を心配するのをやめることにした。例えば、必要ならばどこか好きな所に数週間落ち着いて、アルバイトかボランティアをしてみるのもいいかもしれないという事。12年前50日間バックパッキングの旅をしたときは、毎日楽しくてあっという間に時間が過ぎていったが、終わりの見えない旅行にでた今回は、たかが3週間で移動しつづけることに疲れてきたのは驚いた。

しかし、1週間後にパリに着いたとたん、ロンドンでは、あんなに旅に疲れたと言い張っていたのに、嘘のように元気になった。自分の頭の中に、黒いもやのようにただよっていた物が、きれいさっぱりなくなってしまった。

その黒いもやが何なのか、自分でも分からなかったので、ウェスが「どうして別行動したいの」と聞いても説明できなかったのだが、ある日の夜、近所の惣菜屋さんで買った夕飯を部屋で食べている時、ふいに思い立ってまたその話をしはじめた。説明するのに、ボーボワールとサルトルのエピソードを出す。

「ボーボワールとサルトルって知ってる?」

「知らない。」

「彼らはフランスを代表する思想家で、フランスの名門大学で知り合い恋に落ちた二人は、首席を争うライバルでもあったのね。ボーボワールはサルトルや他の知識人達と、いろいろな事で議論をたたかわせて、至福の時を過ごしていたんだけど、ある時ある危機感を感じ、パリをそしてサルトルの元を離れるんだ。

その危機感というのは、自分自身を失ってしまうかもしれないという思いなんだ。りっぱな思想家であるサルトルの元で幸せな日々を過ごしていると、彼の影響があまりにも大きく、いつの間にか彼が掲げる腕の中でのみ飛び回れる小鳥のような存在になってしまったことに気がついたの。

このままでは自分がだめになってしまうと気が付いたボーボワールは、恋人と友達をすべてパリに残し、ひとりで思索したり、ヒッチハイクをして山登りに出かけたりしたのね。ヒッチハイクの時に危ない経験をしたりしたけど、だんだんと自分を取り戻し、そして二度と自分を失わない自信が持てた時、パリに帰って来たの。そしてこの経験はフェミニズム運動に大きな影響を与えることになる「第二の性」の執筆へと繋がったんだ。 

二人は一生結婚しなかったけど、生涯パートナーであり続けたんだよ。」

ここまで話しての、ウェスの第一声は、「彼らもゲイだったのー?」だった。確かにパリではあちこちでゲイカップルを見ていたが、そういう反応が来るとは思わなかったなあ。とりあえず、ボーボワールが女性で、サルトルが男性である事を説明し、私が一人になりたかったのも、ボーボワールの心境と似ている所があると言うと、ようやく話の意味をとってくれたようだった。

私達の立場とサルトルとボーボワールの立場とはほとんど共通点がない。しかし、彼女が経験した危機感は、どんな立場の女性でも経験しうるものでなないかと思える。仕事をしていたり、趣味や子育てなどで自分の世界を持っていても、自分の世界のコントロールが出来なくなると感じるケースがあると思う。私は今まで、仕事・趣味・友人という自分の世界で作ったお城の主で、好きなようにコントロールする事が出来た。しかし、そのお城を去り世界旅行に出た時から、いつの間にか私よりも状況や人々をコントロールすることに慣れているウェスの影になってしまった。私が船の操縦桿を探している内にウェスは既に航路を定めて次の目的地へ目指して船を進めてしまっていたのだ。

私の気持ちを理解してくれた後は、ウェスはいつの間にかそれまでのように、全てを自分のコントロール下に置いておかなくては気が済まないという姿勢がなくなってきた。お互いにいつも100パーセントの注意を払っているのではなく、どちらかがボケていたらもう一人がきちんと物事を把握して注意を払うようになった。そしてなんとなく交代でボケるようになってきたようだ。時には船の操縦桿を取り合う時もあるが、大抵は二人で交代して操縦したり一緒に上手に操縦できるコツをつかめてきたと思う。

後日談:このページを執筆中にウェスにパリで話したサルトルとボーボワールの話を覚えているか聞いてみた。ウェス曰く(真剣に)、「それ誰だっけ?」私:「この前話したら、その人達もゲイなのって言ってたじゃない。」ウェス:「へえ?」

ウェスは脳に新しい集積回路が必要である。3歳の時の事は覚えているのに、さっき食べたことを忘れてしまう傾向が昔からあるウェスであるが、はっきり言ってこれはまいった。

そして旅立ってから6ヶ月が経つ

旅をして6ヶ月目に入ってしばらくして、冬の寒さが厳しくなって来た頃、周りのみんなが働いているのに自分たちだけ仕事をしてない事に対して、突然焦燥感を抱くようになる。いつも感じているわけではなく、宿でのんびり考え事をしているような時に、ふと頭に浮かんでくる。私は旅に出る直前にも、働き盛りの時に仕事をしないことに対して同じように心配を続けていたが、その心配を克服して世界旅行に出たつもりでいた。しかし、ここに来てまた同じようにあせりだすのはいったいどうしてだろうか。仕事を辞めた後、ストレスを感じていたウェスは今はまったく心配もあせりもしていないので、私だけの現象だ。

だからといって早く旅行を終えて仕事に戻りたいと思っているわけではない。行きたい所はまだまだあり、行きたい所全て行くには何年かかってしまうだろうと考えているくらいだ。そして感動するような出来事や物(例えば有史以前の壁画等)に出会えた時には、そういうあせりはまったく感じなくなる。もしかしたら、一つの国に長く居すぎたかもしれない。そろそろフランスを出て次の国へ行き、気分転換の必要があるのかもしれない。


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