中国 雲南省・中甸・徳欽 2002.05.16 - 05.12

チベット族の情熱

中甸は迪慶チベット族自治州の中心で、標高3200メートルの高原にある。麗江からバスで約5時間北西に旅する途中、瓦屋根と木造家屋の集落から、突然白塗りの土壁の頑丈な造りのチベット様式家屋の集落へと変わった。その違いは、これが同じ国の同じ省内での移動中に起きた事とは信じられない程で、雲南省の多民族社会の一面をここでも目のあたりにした。

中甸でのハイライトは、友人の知人である地元のチベット人を紹介された事だ。彼の名前はテンジン(仮名)。中甸で生まれ育ったが、10才の時父親と共にチベット亡命政府のあるインドのダラムサラの学校で教育を受ける為に、インドに渡った。テンジンの教育の資金をスポンサーしたのが、あるフランス女性で、私達の友人が彼女とテンジンの手紙やFAXでのやりとりの通訳をしたのだ。

中甸でトレッキングガイドをしているテンジンは、数日間に渡り中甸の周辺をいろいろと案内してくれた。テンジンのガイドとしての知識は深く、彼とチベット仏教寺院で過ごした数時間の間に、私達がチベットにいた1週間の間にCITS(中国政府の旅行社)から強制的につけられたガイドに教わったよりもより多くの事を教えてもらった。寺院内の壁画、3種類の仏像、チベット仏教の守護神、4つの宗派の違い、そしてチベットの古い野蛮な習慣の例まで教えてくれた。テンジンはお坊さんの中にも友人が多く、中甸の寺院では修行僧の家でツァンパ(大麦を香ばしく煎って作った粉にヤクバター茶を混ぜてこねたもの)、ヤクバター茶(中国茶にヤクの乳から作ったバターと塩を入れて特別な容器で撹拌して作るお茶)、ヤクチーズ(ヤクの乳から作ったチーズ)での朝食をご馳走になり、中甸から少し離れた村にある小さなお寺でもヤクバター茶をご馳走してもらった。またテンジンの両親や奥さんの実家でも手料理をごちそうになり、普段経験出来ない素晴らしい思い出を作れた。

インドで純粋なチベット教育を受けて中甸に戻ってきたテンジンは、漢族の教育を受けて育った地元のチベット人達との意識の違いにジレンマを感じるそうだ。奥さんとも一人息子の教育方針で意見が合わず困っているという。彼としては息子が小さい時にインドに送り、正式なチベット教育を受けさせたいと希望しているが、奥さんは子供を手元から離すのは絶対に嫌だと譲らない。また、子供をインドのチベット亡命政府に送ると、その罰として政府系の職につく両親は仕事を辞めなくてはいけない。政府で働く奥さんは、息子をインドへ送ると仕事を失う事になるのだ。

またチベットからパスポートを持たず、ネパール経由でインドへこっそり入国した、チベットのラサ出身のテンジンの友人にも会った。チベットとネパールの国境では、地元のガイドを雇い数日間山歩きをして国境を越えたそうだ。テンジンは自分の意志でインドを離れて中甸へ戻ってきたが、テンジンの友人は中国政府が彼の父に脅しをかけてきたので、帰らざるをえなかった。帰りは正規のルートで故郷のチベットへ帰ってきたが、チベット側に入国した時国境の留置所に1週間拘置された後、本土の牢獄に3ヶ月入れられた。チベット亡命政府のスパイではないかという疑いが晴れてからようやく釈放されたそうだ。今は故郷のラサを離れて中甸で働いている。正統なチベット文化を継承するために、彼らチベット人がかける情熱は、想像を絶するものがある。チベットのラサでも垣間見たが、テンジンや友人の話を聞いてさらにチベット文化がこの世から消え去る事はないと確信出来た。

中甸から10キロ離れた所にあるSongtsenling寺院。テンジンはこの寺院の修行僧の中に知り合いがおり、修行僧の住居で朝食をごちそうになった。
Songtsenling寺院にて祈りの時間を終えて、それぞれの住居へ戻る修行僧達。
中国茶にヤクの乳から作ったバターと塩を入れ、特別な容器で撹拌して、ヤクバター茶を作るテンジン。
Songtsenling寺院の修行僧が住む建物で、ヤクバター茶とツァンパ(大麦を香ばしく煎って作った粉にヤクバター茶を混ぜてこねたもの)とヤクチーズ(ヤクの乳から作ったチーズ)を楽しむウェス。
銀のコップに入っているのがヤクバター茶、茶色の入れ物に入っているのがツァンパの元となる大麦の粉。
ウェスがチベット様式の家の作り方に興味があるとテンジンに言うと、中甸の近くの集落で工事中の家を見学した後、近辺で一番豪華な作りの家の中を見せてもらえるよう頼んでくれた。薪のストーブでは数種類の備え付けの鍋を同時に加熱できる作りになっている。

戻る2002年旅行記目次アジアの地図ホーム

  Copyright © 2000-2002   Wes and Masami Heiser.   All rights reserved.