ボスニア・ヘルツェゴビナ | サラエボ | 2002.09.21 - 09.23 |
この橋の上でオーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナンド皇太子夫妻をセルビア人青年が暗殺した事がきっかけで、第1次世界大戦が勃発した。近代史では、サラエボは多くの悲劇を目撃してきた。1992年〜1995年の間にはセルビア人勢力に包囲され、1万人以上が犠牲となった。 | |
バシチャルシァ(旧市街の中心にある職人街)は旧トルコ人街とも呼ばれており、町のレストランではケバブやビュレックのようなトルコで見かけた料理を出しており、トルコ・コーヒーを出すカフェが並び、お土産物屋ではトルコ・コーヒーを作る為のポット等の銅製品を売っている。 | |
サラエボの中心は修復が進んでいるが、3年間に渡った戦争の傷跡は国中に残っている。サラエボの郊外のアパートには、痛々しいほど銃の痕が数多く残り、焼け跡が黒い傷を残している。この建物は戦争中ジャーナリストが泊まっていたホリデイ・インの前にある建物。この大通りは戦争中はスナイパー(狙撃兵)通りと呼ばれ、高層ビルに潜んだセルビア人狙撃兵がこの通りで動くものは全て、老人・子供・女性も含めて狙い撃ちにした。 | |
一時は6万人駐留していて、現在は2万人に減った和平安定化部隊(SFOR)が、民族間の紛争が起こらないように監視している。この日は一部のSFORが休暇をとっているようで、スペイン・カナダ・フランス・イタリア・ドイツ・ポーランドの腕章をつけた兵士が、サラエボの旧市街に観光に来ていた。 |
Copyright © 2000-2002 Wes and Masami Heiser. All rights reserved.