オーストリア ウィーン他 2000.8.31 - 2000.9.17

ハプスブルグ家の遺産

神聖ローマ帝国の首都として栄えたウィーンには、当時の皇帝・女帝達が残した遺産が数多く残る、美しい街である。

シェーンブルン宮殿、ホーフブルグ王宮、ベルベデール宮殿等を周り、歴史を学んだり、昔の居住者の肖像画を見たりしていると、きらびやかな宮廷生活の中心で、信じられないほどの富と権力を持ったロイヤルファミリーは、意外と不幸せな人々の集まりだったのかもしれないと思わずにはいられなかった。

Privat Zimmarと今後の予定

オーストリアでは、一般の家庭が、部屋を観光客に貸し出しするシステムが発展している。町の観光案内所へ行くと、部屋を観光客に提供する家庭の一覧表が手に入る。値段的にも、ホステルの2人部屋より安い値段で泊まれるうえに、家庭的な雰囲気が味わえるので、私達の大のお気に入りとなった。

台所を使える所に泊まると、食費の節約にもなる。いつでも料理が作れる環境にいると、ついつい外食したくなるのだが、自炊できない環境になると、なぜか料理を作りたくなるのが不思議だ。

ウィーンでは地下鉄駅前のアパートを、2人だけで占有することが出来た。台所も、トイレも、お風呂も全て自分達だけで使えるこの幸せは、それが当たり前だった5ヶ月前までは経験することがなかったものだ。ケーブルテレビまでついていて、今までたまに買う英語の新聞以外は、まったく世界の情勢から隔離されていたのに、毎日最新のニュースが手に入るのは、本当に贅沢だ。しかし、世界のニュースは、悪いことばかりで、あまり聞かない方がいいのかもしれない、と思わずにはいられない日もあるが。でも、オリンピック情報が、すぐに手に入るのはすばらしい。

オリンピックが終わるまで、いたい気もするが、とりあえず1週間もいたので、ハンガリーのブタペストに向かうことにした。その後は、もう一度ウィーンに戻り、チェコに向かうことになる。

ヨーロッパの一部では、トラックの運転手等によるストライキの為、ガソリンスタンドでガソリンがなくなる状況になっているが、今のところオーストリアには広がっていない。しかし、今後はチェコにも広がる可能性がありそうなので、状況によっては、旅程を変える必要があるかもしれない。

オーストリアにて負傷

オーストリアの国立公園でハイキング中に、けがをしてしまった。急いで歩いている時に、段差のある所で足が岩場に挟まり、足が抜けた時にひざを強く岩にぶつけてしまったのだ。

包丁で指を切って血を出すことはよくあるが、ハイキングをして血を出したのは初めてで、なんだかとってもショックだった。出発地点までの長い道のりを、所々ウェスにおぶってもらいながら、なんとか戻ることができた。よっぽど変な歩き方をしていたのだろうか、途中追いぬいていった全ての人が、心配して声をかけてくれた。

2週間程でようやく、歩いていても痛みが感じなくなったが、今後ちょっと無理をしたら、すぐくこの膝に痛みが出てしまうような気がして、とても気が重い。若いときは、多少の怪我をしても、すぐに直ってしまう気がするが、30歳を過ぎたころから、けがをすると一生ついて周るような、ついつい悲観的な考えになってしまう。


 

インスブルック
アルプスを背にする、インスブルックの町並み。
Hohe Tauern 国立公園
オーストリアの最高峰Grossglockner。この写真を撮ったあたりで、けがをした。
ザルツブルグ
ドームプラッツ広場の像。
ザルツブルグの大聖堂のドーム内。淡い色合いの内装が、気持ちを落ち着かせる。
ウィーン
ベルベデーレ宮殿(今はクリムト等の作品を飾る美術館)。
ペストが落ち着いた後、神への感謝の意味をこめて立てられた記念碑。同じような記念碑が、旧ハプスブルグ領内の町で見られる。
シェーンブルン宮殿とウィーンの町並み
車両通行禁止区内の旧市街の中心に建つStephansdom。

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